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2008年9月

凱旋パレード

2008年9月23日(火) 高崎市役所前にて

北京オリンピック女子ソフトボールの6選手
高崎駅前から高崎市役所までの凱旋パレードが行われました。

行って来ましたー、ミーハー根性たっぷりでsweat01

結構な賑わいでしたshine

もう目の前をゆっくり通っていくわけですよ!
超感動bellしてしまいました。

百聞は一見にしかず、早速写真を。

20080924_01
上野由岐子投手(ルネサス高崎)
坂井寛子投手(大陽誘電)

20080924_02
乾絵美捕手(ルネサス高崎)
峰幸代捕手(ルネサス高崎)

20080924_03
広瀬芽内野手(大陽誘電)
三科真澄内野手(ルネサス高崎)

ゆっくりパレードカーが通っているのに、あっという間に過ぎてしまってほんの一瞬でしたけど。
ちょいマイナーな位置に居たため、人が少なそうですが、実はこの自分の後ろには恐ろしいほどの人だかりが・・・

その後、市役所の市民ロビーで帰国報告会がありました。

20080924_04

もう、目と鼻の先までの距離
肉眼で6選手一人一人を見れましたヨ

オリンピック選手が同じ市内に住んでると思うと、なんか勇気が出てきます。

みーんな、なんかキラキラshineしててすっごくカワイイですねぇheart02

女子ソフトっていうイメージからか、ゴツい先入観がありましたけど、全然そんなことなくて、存在の大きさとは裏腹に、小さい身体でとてもチャーミングでした。

個人的には峰幸代ちゃんが大のお気に入りになってしまいましたflair
ちっちゃくて声もツヤツヤしてて、それでいてみなぎる闘志が溢れてるというか・・・
みんな、そういう強さを備えているからこそメダルを取れるわけですけどね。

全員がすっごく魅力的に見えました。

とても良いオーラを頂いた気分です。

元気というのは人から人へ伝わっていくんだなぁ、と改めて感じました。

はたまた、想像以上の努力をしてきたからこその笑顔なんだろうなぁと、自分の努力の足りなさも痛感したりと・・・

20080924_05
見上げた市役所庁舎の様子。

まだまだ、だ自分、と広がる空に妙な決意を感じてみたり
謙虚さをもって努力を続けようと思う午後の一日なのでした。

 

 

 

有名人の写真をブログ等に載せるにあたって、ちょこちょこっと調べてみたところ

肖像権 とか パブリシティ権 とか

色々あるみたいですけど、今回の写真は教えてGooの質問を参考にUPしてみました。
法律や権利関係も含め、ブログをやっているだけでも色々勉強になることばかりですね

 

以下、注記
この記事に掲載されています画像等の肖像権ほか権利等は、ご本人に帰属致します。肖像権ほか権利等の侵害を目的としたものではございませんが、問題が生じると思われる場合は、権利をお持ちの方からご連絡頂きましたら速やかに削除させていただきます。

栗拾い

先週の連休に、キャンプしてきました。

いつもデイキャンプばかりだったので、泊まるのは久しぶりでした。

今回料理を欲張って、手作り餃子に挑戦。
レシピはmayuさんに教えてもらって、皮から作ってみました。

イヤ~、包みたて焼きたての餃子って格別ですね。
今回は皮まで手作りだったのでより美味しさが増しました。

水餃子も作ればよかった。

その他にはダッチオーブンで鶏肉の竜田揚げ、豚肉のカリカリ揚げ
ダッチオーブンでの揚げ物は、ジューシーでふっくら、それでいてサクサク

本当にウマイです

それと、しょうゆ味のシンプルなニラ玉汁
全体的に中華傾向でしたが、ビールにあう食べながら調理メニューで
和気藹々と過ごしました

写真は無いですケドね

 

で、そのキャンプで、キャンプ場に着く前に参加者の実家が割りと近くで
その実家には栗林があるので「栗拾い」のイベントをさせて貰えました

20080920

フカフカの落ち葉の上に沢山落ちている栗を拾いました

栗林ってちゃんと消毒したり剪定したり維持が結構かかるんですね
蚊とイガとの攻防でしたが、貴重な経験が出来ました

ホクホクの栗ご飯をカミさんが作ってくれて、秋の味覚を味わったのでした

結構生栗をむくのは大変な作業なんですね

日本人は季節のものをご飯と一緒に炊き込んで食べる習慣が強いんですね
○○ご飯って色々あるけど

きのこ、たけのこ、栗・・・etc・・・あとなんだ?

いずれにせよ、四季折々、旬の食材を味わうというのは心にも身体にも良い事

美しい四季がある日本の恵みは、ある意味資源国だ

ハロー

先日の朝方の話

団地の階段で近所の小学校六年生の女の子とすれ違った

 

「おはようございます」と、ワタクシ

「・・・・・・・・・・・・・・・・」と、彼女

 

まんまと無視されました、31歳男子shock

平然を装ってスタスタ歩いてはみるものの、内心ショックで傷心・・・sweat02

ま、顔見知りではないけれど、近所に住んでるくらいは知ってるし
大人として挨拶くらいはキチンと出来ないと、と思って声をかけたのに

年頃の女の子と言うのは、まったく持って理解不能デス

我が娘もそうなる可能性があるのか・・・

 

挨拶は大切ですよー・・・ね?

おいしいコーヒーの真実

もう一月も前の話ですが・・・
のびのびになっていたお話をヒトツ

 

2008年8月6日(水) 税理士試験当日

今年は法人税の一科目のみの受験

当然9:00~11:00が拘束時間

なので一日有給を頂いても、午後は丸々フリーとなる。

これを逃す手はない。前々から見たかったドキュメンタリー映画「おいしいコーヒーの真実」を見ようと計画をしていた。

コーヒー好きであれば、とても気になる映画のタイトル。

なにせマニアックな映画なため、地方の映画館では上映しておらず都内の渋谷某所にて上映しているとのこと。
FMラジオの番組で紹介されていたのをキッカケに、自由貿易・FTAに関する一つの情報として興味が沸いた。

 

この映画のキャッチコピー

トールサイズのコーヒー1杯330円。
あなたがコーヒーショップで支払ったお金は・・・

いったいどこに行くのでしょう?

コーヒー農家に支払われる金額は・・・?

 

答え

わずか、3~9円。

 

うーん・・・・と唸る思い。

舞台はコーヒーの発祥地と言われるエチオピア
エチオピアの74000人以上のコーヒー農家を束ねるオロミア州コーヒー農協連合会の代表、ダデッセ・メスケラは、農民達が国際市場で高品質で取引されるコーヒー豆の収穫のために奮闘するかたわら、公正な取引(フェアトレード)を求めて世界を飛び回る。

コーヒー産業の実態を暴きながら、貧困に苦しむコーヒー農家の人々を救おうとするタデッセの戦い。生産者、企業、消費者。コーヒーが飲まれるまでの道のりに、深いドラマがある。
1杯のコーヒーを通して、地球の裏側の人々の生活と世界の現実を、あなたは深く知ることになるだろう。

 

映画館は渋谷にあるUPLINK X
今、地方の映画館はシネコンが流行っていて、映画館というとドデカイ建物に広いスクリーン。
それとは全く正反対の雑居ビルに入っている僅かな空間でした。

置かれたイスの数からみても明らかに50人は入れないだろうというくらいのスペース。

しかし、だからこそじっくりと、真にスクリーンに吸い込まれるかのような距離感での上映には、シネコンとはまた違った迫力がありますね。

 

で、感想ですが、あらすじだけでは内容が見えてこないので、ココで述べても伝わらない事が多いと思います。

色々な人がこの映画を観たら良いだろうなぁ

あえて言うならコレが感想です。

なので、コーヒー好きな方、興味のある方、興味が出た方、機会がある方は観てみることをお勧めします。

娯楽エンターテイメント性は一切無いので重たい映画ですけど、何かしら考えるヒトツのキッカケになるかもしれません。
税理士試験に没頭しているとどうしても、盲目的になって社会から隔離してしまう感もあったりと。
まぁ自分がまさにそうなんですけどsweat02

国家間の構図、世界の状態、一部とはいえそのヒトツを垣間見ることで、また視野が広がるのではないかなぁ、と。

残念ながら群馬では上映していないようなので、このときのタイミングで観れて良かったです。
上映期間がまだまだ延びて、今でもあちらこちらで上映しているようです。

 

当日('08/8/6)は、試験が11時過ぎに終わり、そのまま霞ヶ関駅から東武東上線に乗って池袋から渋谷方面へ。
渋谷では14:00上映と18:30上映予定があり、14:00上映を観るつもりが・・・

向かう途中の電車の中で

ぬ゛~ぬ゛~ぬ゛~・・・phonetomailto

「お疲れさまー、日本橋の○○屋で席とって待ってるよー、早くおいで~」
某いつかきっと・・・のJさんから予定違いのお誘いメールがsign02

その直前に、某とんくのMさんと、『お茶まで時間があるから一緒に映画観ますか』ってやり取りしたところなのに・・・

昼に映画観て、夕方プチ打ち上げでお茶でもしましょ、という約束を以前にしておいた訳です。
Jさんは美容院に行くって言ってたから、ちょうど都合が合うはずだったのに

もう疲れちゃってさぁ まいったよ」 とのことsweat01

(・Θ・;)アセアセ・・・

オイラもまいったぞぅ、帰りが何時に・・・?

逆らえないので、すぐに方向転換。渋谷でもんちゃんと合流し、日本橋へ直行しました。
(伏字の意味無し)
まあ、確かに法人税の試験を終えて疲れているのが大抵の人ですからねぇ。

ゴメンじゅんちゃん、ネタにしちゃいましたbomb
名誉のためにも一応フォローしますけど、逆らえないほど怖くないです。
それだけ、様々な人を惹きつける人間力があるってことですヨshine

結局夕方18:30上映のを観て、観終わったのが20時過ぎ、家に着いたのは23時近くでした。
朝型人間にはちょいキツイかったです。
まあ、それがどうした?って程のことなんですけど。楽しかったのでオールOK。

 

資格取得は上を目指すというステップアップだと思いますが、この映画は世界の一部の貧困を写し、良くない言い方ですが、下が見える訳です。
底辺かどうかはわかりませんが、明らかに自分達の社会とは別物です。
その自分達の社会が、途上国と呼ばれている国々の搾取に他ならないのか?
そうでないとしても、ステップアップの先にあるものとは何なのか?

問題に結論も解決も出てくるものではないですが、まずは気付くということが大切な気がしました。

現に、自分も知っていたようで知らない事ばかりでしたし、気付いていない事ばかりでした。

 

対岸の火事か・・・

はたまた明日は我が身か・・・

まぁ、まずは公式サイトで予告でもどうです?

おいしいコーヒーの真実

コーヒー・・・たかが1杯、されど1杯

コーヒーに限らず、世界の食料品すべてに「頂きます」の気持ちは忘れてはならないですね。

 

「頂きます」

これも伝えていかなければならない言葉と気持ちですかね。

9・11

7年前の同時多発テロ

その時は、まだ子供も生まれていなくて新居に引っ越して間もない時でした。
カミさんは自分の実家に泊まってて、自分だけ一人でアパートに居て、朝起きてTV付けたらめざましTVで写ってました。

その頃はまだ税理士試験にも向かっていなかったなぁ。

あれから7年・・・大きく変わったような変わってないような。

 

子供が生まれて、自分の人生が通過点になって、目標が生まれた。

今後も、生まれるものもあるし、無くなるものも増えるんでしょうね。

 

世界平和の願い・・・忘れてはならない精神

今日は改めて思いなおす日でもあるな

 


YouTube: カミナリグモ 王様のミサイル

ゆったりとした曲なのに衝撃的

むしろ胸に突き刺さるような想いがこみ上げるというか

 

自分が出来る事を精一杯、一歩をより強く踏み出したい

学而

昨日('08/9/9)、今日('08/9/10)と
関東信越税理士会主催の'08全国統一研修会が大宮ソニックシティ大ホールで行われています。

事務所の所長に「行ってみるか?」と言われ、職員の身分で参加させて頂く事が出来きました。
昨日、行ってきました。
今日も、行ってきます。

テーマは
昨日が『事業再編・再生の税務』
講師:税理士 中村慈美先生

今日が『事業承継税制・経営承継円滑化法・相続税法の改正内容(方向)と問題点』
講師:早稲田大学大学院教授 品川芳宣先生

昨日は不良債権に関する税務処理やM&A手法など、勉強になることばかりでした。
まあ、全く知らない事ではなくて、試験勉強でやったことが大部分なんですけどね。
やはり条文をきっちり読み込んだ上での理解。税法は深いなぁと改めて実感。
試験が終わると枯れていく程度の知識ではまだまだ通用しませんね。

教わるだけでなく、自分自身でも学んでいく姿勢。

 

実は最近はまっているです、「論語」。

またまたその「論語」からですが、有名な一節、一番最初に書かれている学而第一

 

子曰、学而時習之、不亦説乎、・・・

子曰く、学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや。

先生がいわれた、「学んでは適当な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことだね。〔そのたびに理解が深まって向上していくのだから。〕・・・


岩波文庫 論語 金谷治 訳注より

ま、この分はまだ続くわけなんですけど・・・ちょい省略で。 

昔、国語の教科書に出てきたなぁ~、と微かな記憶が蘇る。

今になって、そういうことかぁ~と改めて理解ができます。

当時は、漢文の文法とかテクニック的な事しか教わってないような感じで、そういう文法すら覚えてないんだから、内容なんてもっと忘れちゃってるんだろうな、と。

最近のTVとかは雑学は多いですが、本当の意味での学問というのは教えられなくなってるんですかねぇ。

もう少し、この「論語」読み進めてみたいと思います。

あ、あと税法も・・・sweat02

それと、今日の研修も頑張りますpunch

孔子の言葉

早朝のFMでDAY BREAKという番組があります。

懐かしい選曲による音楽とともにリスナーとの投稿のやり取りなど、ただ聴いているだけでも癒される番組です。

その番組終了間際 だいたい4:45くらいにデイブレイクカルチャーという一節があって、そこで孔子の第75代直系子孫、孔健さんによる「孔子の言葉 一日一言」という番組が数分間あります。

毎日聞けるわけじゃないのですが、日めくりカレンダー的な言葉のありがたさを受取るキッカケになります。

その番組の中で、気に入った言葉の一つを紹介。

 

これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

知っているというのは好むのには及ばない。好むというのは楽しむのに及ばない。

知る < 好む < 楽しむ

 

ことわざで

好きこそものの上手なれ

というのがありますが、それを上回るような言葉ですね。

なんか究極だ。

 

好き以上に、楽しめる人生であれば、こんな幸せな事は無いかも。

好きだけじゃなくて、楽しむという要素があって、引き込まれたり魅了され、惹かれるものがあるのかもしれないですね。
逆に、楽しいから好きになるというのは順序が逆で、その楽しさは真実ではない?

やればやるほどキライになるようなら、それは物事に原因があるのではなく
ひょっとすると自分自身に問題があるのかも・・・

好きか嫌いかなんて、思い切り主観ですし。

 

ぼちぼち、来年受験の講義も開講しだして、心機一転スタートが始まってきましたね。

じゃ・・・

どうやったら好きになれるか?
どうやったら楽しくなるか?
相性とか、自分の性格とか、興味とか、どんな関係なんでしょうね?

それは千差万別。みんなそれぞれ自分の中に追求していく真理かもしれない。

とりあえず人に教えてもらったり
とりあえず人のマネをしてみたり
とりあえず独自の道を進んでみたり

とりあえず、「とりあえず」

まずは、最初の一歩ってところでしょうか。

 

税理士試験の勉強・・・楽しんでますか?

日々の仕事・・・楽しんでますか?

日々の生活・・・楽しんでますか?

 

自分は・・・まぁ、どれもボチボチですわ(笑)

とりあえず、年内は何も受講せず発表待ち。ゆっくり復習にでも充てるつもりです。

富士山行記9【帰宅】

~~家に帰るまでが登山~~

2008年8月9日 午後8時半過ぎ

シャトルバスが駐車場に到着後、打ちあがる花火が霞んだ夜空にきらめいている。
ドカーンと響く爆発音が、山間を何度も跳ね返りこだましていた。

群馬からの親子は、というと・・・
無事下山をし、休む暇もなく着替えを済ませ、最寄の日帰り温泉に向かおうとしていた。
とは言っても、まったく周辺情報を知らないため、まずは、すぐ近くのローソン小山町須走店へ向かったのだった。

店員の人に
「この近くに日帰り温泉とかってありますか?」とおもむろに聞く。

買い物もしないで。

着替えたとはいえ、クーラーの効いた店内が異様に寒く感じたのだ。極限の疲労で体温調節が上手くできていなかったのかもしれない。

店員「すぐ、近くにありますよ、テンケイっていうのが。そこの信号をまっすぐ、5分くらいですよ。

 

天の恵みと書いて天恵、今日の二人にはなんともピッタンコなネーミング。まさに天からの恵みのような温泉だ。早く入ってゆっくりしたい、気持ちだけはもう到着しているかのようだ。
早速車を走らせる事5分。山間の道で少し不安になったが、明るく広い場所に堂々とあった。
駐車場に車を止め、当然のごとく眠ってしまっている息子を起こす。

父「おーい、起きろ~、お風呂spa入るぞーup

子「う゛ーん!ヤだ・・・ムニャムニャ・・・sleepy

寝ぼけまなこで、一向に起きる気配が無い。完全に充電タイムに突入してしまった。

父「オイッ!sweat01起きろって。温泉に着いたぞー!」

子「フギャーッ!ギャンギャン!」

まるで、威嚇する猫のように鋭く、釣られた魚のようにビチビチと大暴れ。

アンタ・・・コレでも寝てるのか?おい・・・sweat02

しばらく、車から降りずにそのまま経過を待つ

結局、起きない。

うーん、コイツを置いて1人で行くのもなぁ・・・sweat02

しばらく考え、まずはカミさんに電話した。
そういえば無事の報告をするのをスッカリ忘れていたのだ。flairまだ思考停止が続いているようだった。
過酷な状況をサラッと報告し、風呂入ったら帰ると伝えた。

しかし、カミさんは「ビジネスホテルにでも泊まって明日帰っておいで」と言う。

たしかに、もう9時近くだし、キャンプ場に行くってのも受付けどうなんだかなぁ?
ウーン・・・ビジネスホテルbuildingか・・・
受付するのにコイツを起こしたり、部屋に連れて行くのもめんどうだしなぁ・・・

とにかく、思考が面倒なことは避け、より楽に楽にと考えてしまう。

そして、最終的に考えたことは

 

高速で帰るべcar

 

せいぜい、2時間半だろ、休み休みで行けばなんとかなるな。

最後まで安易な思いつき、過信による判断選択。コレがとんでもない経験をすることになることは、今までの流れ同様に、知るよしも無い決断だった。
結局温泉にゆっくり入ることもなく、なんともいい加減にも富士山から発つきっかけとなった。

 

まずは、東富士五湖道路 須走~富士吉田
せいぜい20分程度の道のり、ちょっと疲れたな~くらいの感じで難なく通過。
そして中央道 河口湖~大月JCTまで
ここも20分程度の道のり、なんだこのまま楽に行けちゃうじゃん、と気楽な状態。

そして、中央自動車道に入って5分程経過したあたり
なんとなく眠気が・・・zzzz

(-_ゞゴシゴシ

Σ(・o・;) ハッ!

の繰り返しが数回

眠気とは突然、襲ってくるものだった。

コイツが睡魔かshadow

Σ(・o・;) ハッ! の後の胸のドキドキ ホンの一瞬なのに目の前がパチンとする。

よく古いTVの映りがパチンと切れて入りなおるような感じ。

一瞬我を失ったあの瞬間があんなにドキドキするとは夢にも思わなかった。
今まで、釣りや行楽でソコソコの遠出をしても、そこまでのような現象はなかった。
ましてや居眠り運転などは過去に一度も無い。それだけ限界域での運転をしたことが無い、とも言えるのだが。

今回は明らかに今までと違う現象だったので、これはヤバイと思い、すぐさま最寄の談合坂SAへ入る。夜9時過ぎとは言え、さすが大きいSAは人の賑わいが違う。

眠気覚ましに何かデザートでも・・・と、おもむろにご当地ソフトでもないか探し出す。
が、すでに店が閉まっていて、軽食というよりは明らかに食事になってしまうメニューしかない。

仕方が無いので、自動販売機で三ツ矢サイダーを買った。普段めったに炭酸飲料を飲まないため、眠気覚ましに刺激的かなと思って選択。懐かしい味だ。
ちょっとした気分転換も含め、リフレッシュしてまた本道に入る。
口に流し込む炭酸の刺激が、眠気とちょうど良く相殺され集中力も増してきた。

眠くなるたびに、三ツ矢サイダー。ゴクッaquarius

眠くなるたびに、三ツ矢サイダ・・・。ゴクッaquarius

眠くなるたびに、三ツ矢サ・・・。ゴクッaquarius

眠くなるたびに、三・・・・。ゴクッaquarius

眠くな・・・・。ゴ・・・sleepysleepy

 

sign03sign03sign03sign03sign03sign03

アレッ?今寝てた?俺?(◎-◎)

 

明らかに、意識が朦朧としてる感じ・・・

 

危険danger危険danger 変なドキドキが余計にゆとりを奪う。

そうこうしている内にいつの間にか八王子JCT。そのまま圏央道へ。

この圏央道・・・通ったことがある方はご存知かもしれないが、開通した八王子から青梅辺りまで、ほとんど景色の変わらないトンネルや壁に覆われた道で変化がない。

気持ちはしっかりと、というつもりでも、脳が全然働いていない。
遠くに見える電光掲示板やライトがにじんで見える。
トンネルの両サイドのオレンジのライトなどは、まるで火を吹くドラゴンみたいだ。
道端にあるちょっとした反射板が人に見える。

幻像が見え始めた・・・

こりゃヤバイ!なんとかSAに緊急避難だ!

が、行けども行けどもなかなかSAがない・・・
時速80キロ以下で、トロトロと・・・気付くと60キロを下回っていたり
交通量の少ない圏央道で良かった。今だからこそ言えるが、圏央道の通過はほとんど覚えていないくらい、朦朧と運転していたようだ。

考えてみれば無理もない。8日の朝から起きて仕事して、その夜に仮眠しただけで富士山往復して9日の夜まで起きているのだから。ほとんど寝ていない状態で限界を超えた死の世界に足を踏み入れていた。

実は圏央道は狭山PAのみしかなく、それもずっと関越自動車道よりだったのだ。

やっと見えたコーヒーカップのマーク。すぐさまウィンカーを出し、おもむろに駐車場に車を止めた。
なにやら地元の若者か、それとも旅行の途中かわからないが、大音量による音楽が賑やかに流れていた。
これが、有名なウーハー族かぁ、ちょっとしたコンサート会場のようだ、なんともスゴイもんだなぁ~、と感心しつつも
ドンドコと宗教的な楽曲に似た重低音の心地よさにすぐに眠りに入っていた。

 

しばらくたつこと数十分・・・まだ1時間も経過していない

 

(;゚ロ゚)ハッ

ココはどこ?ワタシはダレ?

看板を見る・・・狭山PA・・・

 

(゜Д゜) ハア??

えっ?何?ドコ?何でココにいる?家じゃないの?

 

寝ぼける一瞬を客観的に感じ取れる人はどれだけいるだろうか?

今まさに、飛び起きた瞬間、我を失っていた・・・

冗談抜きで、何が何だかサッパリ分からない状態だったのだ。

コレが寝ぼけかーsweat02

全然何が何だか分からなくなっちゃったなー
高鳴る胸のドキドキ、夢を見ていたかのような非現実的な現実。

さっきまで運転してたと思ったのに・・・

いつの間にSAに入ったのだろう?

夢で運転をしていたのか、運転をしながら夢を見ていたのか・・・

とにかく、すべての世界が信じられなかった。

あぁ・・・早く帰りたい。とにかくウチに帰って布団で眠りたい。
心から安らぎを求める瞬間だった。富士山の下山中よりも安らぎを求める。

 

よっしゃ、少し寝て落ち着いた。また元気が出てきた。なんとかなるかな、頑張って帰ろう。
まだ、ウーハー族が賑やかに振舞っている。なんとなく危険な感じだから、さっさとオイトマしよう。

おもむろに、圏央道に乗り込み、帰りの道を進んだ。

順調に鶴ヶ島JCTから関越自動車道へ。あとはだいたい40分くらいだ。
もう、ココまで来れば・・・

 

が、しかし・・・

 

睡魔は安心とともにやって来る・・・・そう何度でも

恐るべし睡魔sweat01

ヤツはすぐにやってきた。自分に乗り移るのが楽しくて仕方ないように。
コックリ・・・コックリと、ヒヤリハットの状態が何度も続く。

またしても、極限状態で生きた心地がしない。

やっぱりダメだ。もう一度SAに入ろう。そして入った場所が上里SA。
埼玉県と群馬県の県境にあるところだ。ここでまた一眠りをしよう。
もうココまで来れば、あとは藤岡JCTと高崎JCTを通り越してすぐだ。

あせらず、ゆっくりと休んでいくことにしよう。

あっという間に、眠りについた・・・。今度こそ安堵の状態で。

 

が・・・

そんな静寂は30分と持たなかった。

 

子「とーちゃん、ココドコ?家に着いた?

 

Σ(゚皿゚) ガビーン!・・・

身内かよ・・・っていうかオマエかよっannoy
っていうか、さっきまで寝てたじゃんannoysign01
起こしても起きないくせに、勝手に起きやがって。
せっかくいい気持ちで寝てたのに・・・起こすなよぅ・・・down

恐るべし我が息子sweat01sweat01

睡魔もイヤだけど、安眠を奪うこんな息子もイヤ。
イヤ、むしろそれでこそ我が息子。それなりのオチをありがとう。

息子に起こされ、眠りから覚める。時間は11時過ぎ12時に近い。

結局少し眠ったので、疲れもやや回復した。

父「よし、家に帰るか!」

気分的には神津牧場ジャージー牛乳ソフトが食べたかったのだが、店に入って確認する気力もなし・・・

 

また、本道に入り我が家に向かった。その後は順調に、大きな事故もなく無事に我が家に到着した。
結局、息子はまた眠ってしまったが。

 

帰ってくると平穏無事。だが、一歩出ると想像を絶する世界につながっている。
世の中とは、自然とは、なんと面白いものなんだろうか。

今回の登山で、親子ともに立派に成長できたことだろう。
そして、何より家族というものの存在に幸せを感じた旅だった。

間違いだらけの選択の中、様々なものの恩恵と守護をうけながらも、ようやく、二日間にわたる親子の大冒険が幕を閉じた。

 

この翌日、10日には友人宅でのBBQに招かれ、武勇伝に花が咲いたのは言うまでもない。
すべては、7日の準備している時に来たこのBBQお誘いメールが、すべての決断の根幹にあったことなど、今となっては笑い話で終わらせられる・・・

 

 

 

 

あとがき

なんてことない親子二人の富士山の登山の様子を書いてきましたが、書いていて自分自身でも改めて思い直すことや、感じる出来事もあり、独りよがりかもしれませんが結構充実した一時でした。
最初はこんなに長編になるなんて思いもしなかったのですが、書いているうちに盛り上がってしまい、ドラマティックに仕立ててしまいました。長話しになり申し訳ないと思いつつも、一生懸命読んでくれる方や感動して涙を流してくれる方のコメントなどがより励みになり、つい調子に乗ってしまいました。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました。
富士山を甘く見てはいけない、というメッセージとともに、一番甘く見ていたのは自分自身であり、過信というものへの戒めを込めました。また、親子の絆というものや、子供の頑張りというのもまだまだ世の中捨てたもんじゃないな、と希望も込めてます。
読み手がそれぞれ何かしらを感じ取ってもらえるキッカケとなれば、これ幸いに思います。
あと、居眠り運転だけは絶対避けたほうがいいですねbomb
避けられないから眠ってしまうんでしょうけど・・・そうなる前の準備が肝心かsweat02

 

最後の参考写真
これが息子の勲章デス
080906_01
オモテ(扇屋オリジナル、と言ってました)

080906_02
ウラ(日付と名前の刻印)

1,400円moneybagチーンsweat01

富士山行記8【生還】

~~感じる、命の温度~~

2008年8月9日 富士山 須走口下山道

トボトボと、ヨロヨロと力なく親子二人の姿があった。
時に肩車で、時におんぶで、時には二人それぞれの足で。

 

途方にくれながら歩く姿に、追い越す他の登山者が優しい言葉をかけてくれる。
「大丈夫ですか?」
「どちらまで行かれるんですか?」
「あぁ、まだまだありますね。頑張ってくださいね」
「やぁ、大変だぁ」

孤独にコツコツと下るより、そういった声が係ることがよっぽど心強い。
しかし、明らかに人はどんどん少なくなってきている。皆、足早に下山を済ましたい気持ちでいっぱいなのだ。sweat01

絶体絶命の状況で、不安と恐怖と後悔の念を抱きつつも、気付けば現実的にだいぶ下ってきた。
普段の倍以上時間がかかっているが、着実に下っている。
rainも弱くなり、ほとんどパラパラと砂がかかる程度にもなってきた。

ココまで来れば、というほどの場所ではなかったが、気持ちが急いでもどうなるものではない。
少しばかり落ち着いた気持ちを取り戻し、風をよけるため岩のくぼみに二人して座った。

子「寒い・・・お腹すいた・・・

父「おー!そうか、食う元気があるか。」
すこし元気な口調の声色に、僅かな希望の兆しが見えた瞬間だ。

父「あっそうだ!バーナーもあるし水もある、暖かいカップラーメンnoodleでも食べて身体を暖めようflair

なんで、このことをもっと早く気付かなかったのだろう?
と改めてパニック状態だったことを思い出す。
準備に準備を重ねた結果、暖かいモノを食べる事が出来る。これほどの安心があったろうか、と思うほど、心から安堵の気持ちが溢れてきた。

まだまだ不安はあるが、それを勝る安心への欲望が次から次へと湧き出してきたのだ。
おもむろに火をつけ、まずはお湯を沸かす。漏れる炎に手をあて、火の温かみに命の温度を感じる。子供も徐々に元気になってきた。死への不安は徐々に和らいでいった。sun

こりゃ絶対に風邪を引くな、と思ったが、死ぬほどの高熱は出ないだろうと。

父「無事下ったら、あったかい温泉spaに入ろうな」

子「じゃあ、すぐにお風呂に入っていい?」

息子が言いたいのは、いつも身体を洗ってから湯船に入るように言われているため、今日ばかりは洗わないでそのまま入ってもいいか?と、聞きたかったのだろう。律儀と言うか純粋と言うか・・・
それだけ暖かいお風呂を心から求めていたと言う事だ。

父「いいよ、いいよ、もちろん(笑)」

二人に少し笑顔が出始めた・・・happy01

 

風こそ冷たいままだったが、雨はやみ雷の音も小さく、遠くに移動していったようだ。

残りのオニギリを食べ、暖かいスープと共にカップラーメンを頬張る。
舌の感覚は鈍く、味覚が機能していないと感じながらも、とてつもなくウマイ。
温かさとは、命そのものなのかもしれない。
人の温かさ、心の温かさ、食べ物の温かさ。食は命をつなぐ無くてはならないものだ。

近年良く叫ばれる「食育」という言葉。
添加物の無いもの、有機栽培、無農薬、栄養のバランス、食生活の乱れ・・・
コンビニのオニギリ、インスタント食品なんて「食育」からすれば論外だろう。

しかし、我が家の「食育」は、まさにこのカップラーメンだ。
温かいインスタントラーメンが命をつなぎ、希望が沸き溢れた。
本当の意味での「食育」とは、食と物の間にある命を感じ取って始めて進められるのではないか?
結局は、見せ掛けや飾られた知識や技術などという表面しか見えていないのではないか?
マスコミにちやほやされる様な迎合された薀蓄などちゃんちゃらおかしい。
決して、高いお金を払って健康を維持することや、良質の食物を食することではない。
農業問題や自由貿易、ドーハラウンドなどの大問題の根源は、先進国の搾取と言われる。
「食育」を理由に経済的格差をより加速する可能性だって否めない。

ま、感極まって偉そうに大言を吐くのはホドホドにしておこう。pig
とにかく、本当に美味かったのだ。

何分くらいそこに留まっていただろうか?おそらく30分以上はいたと思う。
ちょうど下りと登りが入り混じる地点だったため、人の行き交いもやや多い。

そんな二人を見かねた良心的な登山者が、息子にアメをくれた。
登りの時と違って、今度は快く受け取った。甘いものにはエネルギーがある。

疲労に隠されていた空腹も満たされ、高度も下がったことにより気温も、そして体温も上昇してきた。
このまま踏ん張ればなんとか下山できるかもしれない。
本当に今の今まで、下山できるかどうか、不安で不安で仕方が無かったのだから。
これほどの勇気が沸いたのは何年ぶりかというくらいに。shine

父ちゃんの不安や迷いは一切払拭された。punch
息子を肩車して歩く歩幅にも力が蘇る。ただ、肩に係る痛みはこらえなければならなかったが。

多少元気が出てきた息子も、徐々に自分の足で下れるようにもなった。
もちろん、まだ泣き泣きだが。

 

18:00に近づく頃には、七合目大陽館の所まで来た。ここまで来れば一安心だ。
まだまだひたすら歩くわけだが、砂走と呼ばれる急勾配のザレ場を一気に下る。
ザクザクと進む一歩が大きく沈む。スキーで下ればあっという間だろう。
晴れた日に下ると砂埃が舞い上がり、真っ白になるほどだ。
幸い降った雨によりしっとりとした岩石は、多少の重みも含みながらも、澄んだ空気を保ってくれた。

早く下れると言ってもやっぱり長い。

ザックザックザック・・・

ザックザックザックザック・・・

下っても下っても先は長い。

一向に縮まらない。

徐々に日が暮れ始めた。高度が一気に下がるので気温も上がったように感じる。

 

息子もだいぶ力が蘇ってきた。もう、ほとんど肩車をしなくても自分の足で歩いてくれている。
落ち着いてきた安心感と共に会話も弾んでくる。

父「父ちゃんは、今回で本当にお前のことを見直したぞ!」

(*´σー`)エヘヘ、嬉しそうに照れる息子

子「父ちゃんに富士山連れてきてもらって良かった。疲れたけどね」

父「そうか?もう二度と登りたくないだろー?コリゴリだな」

子「うん、でもそんなにヤじゃないよ。雪が降って寒かったから歩けなかったんだよ」

なんとも大きいことを言う。子供はいつでも大言壮語だ。
しかし、そんな力強い言葉が何よりも嬉しかった。

父「ホントにホントにゴメンな。謝ってばっかりだけど、謝りきれないよ」

子「別に平気だよー。自分で行きたいって言ったんだからさ!」

父「ほんとか~?ついさっきまでベソかきながら『歩け゛な゛い゛~』って言ってたじゃんかー(笑)」

些細な会話であるが、本当に親子の絆を感じることの出来る会話だった。
何よりも替えがたい、一生の記憶に残しておきたい、とても大切な会話だった。

足早ながらも無理をせず、ザクザクとひたすら下っていく。

 

下山最後の山小屋 砂払五合目 吉野屋に到着したのは19:00に程近い夕暮れの時間だった。

靴の中に入った大量の小石をザーッと振り落とす。
もう靴もボロボロ、靴下もボロボロになっている。おまけに心も身体もボロボロだ。
でも、ここまで来ればもう何の迷いも無く、最初の登山口まで帰ることが出来る。
限界をとうに超えた、自信と確信に満ち溢れた気持ちだった。

風はぬるく、湿気と共にまとわり付くような空気を送ってくる。

 

最後は30分程度の樹林帯を抜けて登山口に帰る。
閉まったヘッドライトを再び装着し、徐々に暗がりが覆う樹林帯の奥へ奥へと進んでいった。

目印になるのは下山道の道しるべとなる矢印の看板とロープのみ。
木々の間から漏れる空の色が徐々に濃くなり、藍色から濃紺へと変化する。
そして、遂に完全に日が暮れ真っ暗闇の樹林帯になった。

登山開始時と全く同じ風景。下っているということを除いては。

子「ねぇ?まだ着かないのannoy?間違ってるんじゃないのannoy?この道で合ってるのannoy?」

意気揚々と登り始めたスタート時とは全く違い、歩いても歩いてもゴールに着かない不安が押し寄せているらしい。

父「大丈夫、大丈夫。この道で合ってるさ。(不安だけどね)sweat02

まぁ、下山なんてそんなものだ。sweat01

自分で思っているより長く、そして突然にゴールに着くのだ。

何度も「まだ?まだ?」の泣き泣きの問答を繰り返しながら、今から登りはじめる登山者とすれ違いながら、やっとのこと見覚えのある神社の建物の横に出た。

あとは石畳の階段を下ればゴールだ。

つまずかないように慎重に一歩一歩下る。

頂上へ到着するのとはまったく別の、安堵に満ち足りた安心感に包まれる。

 

帰ってこれた・・・

 

なんとか無事に。

無事ではなかったのだが、無事だった。

本当に良かったshine

ほぼ日常に戻ってきたお陰で、まともな精神状態に戻れた。

これこそ生還。

 

このとき19時20分。まるまる19時間の富士山の日帰り登山が今、完結した。

もう二度と須走口から登るもんかannoysign03

本気で思った一番最初の感想だった。

しかしよくよく考えると以前もそんなことを考えていたような、微かな記憶が残っている事実も否めない。

息子はしきりに
「バスが行っちゃうよ!早く!早く!」

父「ちょっとくらいお土産でも見ていこうよ」

店内に入って、物色するが、疲労と安堵により思考はほとんど停止している。
考える事も億劫なうえ、どうやらバスの出発時間が19:30らしいので、何も買わずに店を出た。

 

バスは30分おきに出発する。下山後ゆっくり休む事もなく、せわしくバスの発着所に向かう。
他の下山者も同じように発着所に集まってきた。
おもむろに帰りのチケットで受付を済まし、ようやくバスに乗り込んだ。

ほんの数時間前までの境遇と、今この現状とのギャップから、悪夢から覚めたような不思議な思いを巡らせた。
いずれも現実だったのに、今となっては本当に悪い夢のようだった。

いずれにせよ、

本当に無事でよかった・・・生きて帰れて

 

子連れで日帰り登山なんて無謀なことは、絶対やったらイカンと。改めて、イヤ、今更深く思ったバスの中だった。
息子はバスが走り出したと同時に電池が切れたように眠ってしまった。
自分もいつの間にかウトウトとしていた。
右へ左へゆらゆらと揺れる下りの道のりが、なんとも心地良い眠りを提供してくれた。

駐車場に着いたバスから続々と人が降りてゆく。息子を揺り起こし、寝ぼけ眼のまま一番最後にバスを降りた。

やっと着いた・・・

さて、片付けをして温泉でも行くか。

突然、大きな爆発音が聞こえるとともに、キラキラと光る夜空の風景。
丁度、その周辺で夏祭りをやっていたらしく、メインの花火大会が始まった頃だった。

まるで、自分達の登山の達成をお祝いしてくれているかのようだった。
2008年8月9日 20:20 今まさに、親子二人の登山は幕を下ろした。


今回写真が一枚も無いのは、下山中に写真を撮るほどの精神的な余裕が無かったためと、夢中でゴールしバスに乗り込んだためです。
それだけ、切迫した状態でした。 

 

 

つづく

 

まだ続くか!?もういいよ、と声が聞こえてきそう・・・
自分のブログですゆえ(笑)

次回、いよいよ最終回
“家に帰るまでが登山”

富士山行記7【下山】

~~死線を超えて・・・~~

2008年8月9日 正午過ぎ 富士山頂にて

四軒ある山小屋の一つ扇屋

四軒のうち一番控えめな店構えかもしれない。
外では雷鳴が鳴り響き、安全のため店先の戸は完全に閉められている。
細長く奥まった縦長の店内には、父と息子以外は居ない。
正確には従業員さんを除いては、他の休憩客は居ない。
従業員さんらは、悪天候による客の減少の影響からか、早めの昼休憩もかねて食事noodleの準備をしていた。

雷鳴が轟くたび、「まだ近いなぁriceball」とか「今日も荒れてるねぇjapanesetea」と言った声が聞こえてくる。
山頂で働く人々にすると、こういった自然現象と真正面から向き合って生活をしているわけで、それ相応の心構えは万全なのだろう。
ど素人の我々には、危険性や状況変化の予測などはまったく見当がつかない。
そういった会話の中から、少しでも有効な情報が得られないか、やや聞き耳を立てながら、天候が落ち着くのをじっと待っていた。

しかし、良くなるどころかやや悪化する傾向にある。このままでは、郵便局には行けないかな・・・。
そのお店で買い物をすると、持ち合わせたハガキを郵便局へ届けてくれるらしい。mail
ただ、天候によって当日になるか翌日になるか確証は持てない、という。
郵便局備え付けのスタンプ印も押す事は出来ない。その代わり、その店にあるスタンプ印は押してくれるようだ。

 

天候予測のエキスパートである従業員さんへ天候のことを尋ね、郵便局へ行けるかどうか聞いたとしても、おそらく「No」の答えが返ってくるだろう。どう考えても危険な天候であることに間違いない。

自分自身へのこだわりが、それとも安全性か、安易な方法か。
こだわりに固執する自分は、どうしても自分の足で郵便局まで行きたかった。
3年前に訪れた記憶では、ココからそれほど遠くないと錯覚した記憶が残っていた。

ほどなくして、「お世話になりました」とお店の人に挨拶をし、息子と一緒に店を出た。
息子は自分のお土産を買ったが、まだ友達のお土産を買ってはいなかった。

そこで、こう提案した。

父「父ちゃんは、ちょっとそこの郵便局まで行ってハガキ出してくるから、お前は全部のお店を見に行って好きなものを選んでるか?それとも一緒に行くか?」

子「お店見にいって、決めてる。それで、ココで待ってる。」

幾ばくかの不安があったが、いざとなれば店に避難できるし、それほど遠くも無いから何とかなるだろう。

父「じゃ、ちょっと別々だ。大丈夫か?」

子「うん、わかったgood

息子は待ってましたnotesとばかりに、さっさと好きなお店に行ってしまった。念願の目的だ。そりゃはやる気持ちは抑えきれないだろう。

自分は自分で、最後の大仕事、山頂郵便局までの往復の道のりに決死の覚悟で挑む。
カミナリは遠くでゴロゴロ鳴っているし、雲も少し薄い感じもする。

なんとか天気もってくれ!(-m-)” パンパン

願いを込めて、一か八か、外輪山を進み始めた。灰色の空の下、風の音は優しいとは言えない。
立ち込める冷たい蒸気が横切るたびに、雲の真ん中に居ることに気付かせられる。
ザックは店先に残し、今までよりも身軽だ。
息を切らしながらも足早に、気持ちと共に先へ先へと向かう。

 

記憶では、その目の前の頂を越えればすぐに見えてくるはず・・・

少し回復した体力を徐々に消費し、頂上からまた小高い丘のような頂きをさらに目指す。
あそこを超えれば、あそこまで行けば・・・

が、全然見当違いだった。
開けた景色からは、さらなるアップダウンが続く登山道だった。
全くもって郵便局の建物など見えない。

アレー?おかしいなぁ・・・(・・?

どんどん焦る気持ち。薄い空気。轟く雷鳴。打ちつける雨。また霰も含んできた。
いつ落雷するか分らない恐れと不安。はっきり言って生きた心地がしない。

登山者はチラホラ居る。
みんな決死の覚悟で歩いているのか、落ちないと過信して歩いているのか定かではないが、緊張感は共有できた。

最後の丘を登り再び視界が開けた。

ほぼ平らな直線の道、そのずっと先には未だ建物の形跡は見当たらない・・・

胸のドキドキがさらに早くなる。切れる息を繰り返し補いながら、早足で進む。
せいぜい10分と思っていた距離が、すでに15分も歩いている。sandclock
ここで引き返しても息子に会えるのは15分後。息子にしてみれば30分も独りで山頂に取り残されたままだ。
また、悪い事をした。かわいそうな事をしてしまったと後悔の念に押される。
しかし、もう少し、ここまで来たのだから、きっとあと少しだ。

不安もより高まり、平らな道が終わるところに差し掛かった。
その視界の先には、5mほど下ってまた5mほど登るという窪んだ場所が広がっていた。
郵便局はその先にあった。
あぁ・・・もうちょっと距離があったか、仕方が無いココまできたのだから最後まで諦めないで突き進んでしまおう。punch

カミナリに打たれる不安よりも、息子を取り残してきた不安の方に気持ちを傾けながら、息を整え郵便局まで必死に歩いた。run

遂に郵便局まで到達できた。
おもむろに中に入り、事務的な手つきで、持参したハガキにスタンプ印を押す。
決死の覚悟で来たにもかかわらず、あまりにも事務的に押す自分の行動が少し可笑しく思えた。
しかし、ゆっくりしっかりと一つ一つ丁寧に。ずれたり霞んだりしないように。
これはもう完全に職業病だ。

「お願いします。」と窓口の局員さんへ手渡しをした。

080903_04
石積の郵便局は入り口が狭い。
中も、もちろん狭いのだが・・・。

080903_05
他の登山者も参拝している浅間大社。
こちらもやはり石積だ。屋根は風に吹き飛ばされないように石が乗せられている。

あとは無事戻れる事、無事に下山することだけだ。やっと肩の荷が下りた。
本当ならば剣ヶ峯に行きたかったが、危険性が伴うと共にこれ以上の遅延は避けるべく、さすがにそれは選択しなかった。
浅間大社で賽銭を入れ、下山の無事と家族の健康、試験の成功を祈り、もときた道を歩いた。

 

時間は1時半を回っていた。
風は横殴りで吹き付ける。雷鳴の轟きは休むことを知らない。下へ向かって稲妻が走るのも見えた。
ココで雷に打たれたらそれまでだ。神様が自分を見極めたという事と受け止めよう。
大げさに言えば、死ぬ覚悟だ。決して命を粗末にしているわけではない。
怖さもあり、後悔もあり、申し訳なさもある。
生きていることが当たり前では気づかない事が、死を意識した瞬間に気づく。
親、妻、子供、親しい友人達、多くの人に悲しい思いをさせてしまうんだろうなぁと。
はたまた、そんな事は自分の思いあがりで、悲しんでもらえる事が出来るだろうか?
自分とは周りの方々にとってどれだけの存在だったのだろうか?
やり残したこと、やり遂げたかったこと、様々な想いがこみ上げる。
堂々巡りの思考の中、結局立ち戻るのは今現在だった。
生きているのは過去でも未来でもない。今この瞬間だった。

命とは自分自身だけのものではなく、周りの人々と共存している事。
残された遺族や友人達の深い悲しみは想像以上のショックだ。
やはり「生かされている」ことを改めて実感し、粗末にせず、過信せず、大切にしていかねばならぬと、気付く瞬間でもあった。

僅か往復40分。されど40分。短いと言えば短い。長いと言えば長い。
ずっと待っていた息子にすれば恐ろしく長く、不安な時間だったことだろう。
試験時間ならばあっという間だ。
時間と言うのは、過ぎた過去の記憶でしかないのかもしれない。
その幅の感じ方は感覚であり、捉え方次第なのだろう。

 

なんとか無事に元の山頂山小屋に戻る事が出来た。

すると・・・

息子が泣きながら、おばちゃんになだめられていた。
すぐ帰ってくるはずが、なかなか帰って来ない父ちゃん、相当不安だった事だろう。
泣き声で声にならない、むせび泣く息子をギュッと抱きしめた。

嗚咽しながらやっとの事で言葉を吐き出す。

子「と・・とう・とうちゃん・・が、がっ・・かえっ・・帰って・・こ・・こないから・・crying

エ゛ッエ゛ッエ゛ッ(/_<。)

またしても申し訳ないことをさせてしまったと、心から謝る。
安易な選択から、子供にとって驚異的な不安を与えてしまう結果となってしまったことに。

よしよし、と背中をさすりなだめる事しか出来ない。
息子にとって唯一頼れる存在が、父親である自分なのだ。
息子にとって頼れる存在だったかどうか、自分では自信など無いが、それでも絶対的な存在だったのだ。
自分自身が決して独りではないと気付く。
息子とまた出会えて良かった。感動だ、心から。shinecrying
今はまだ自立の時期ではない。しっかりと受け止め守っていくのが親の役目だ。
しかし何時か自立するときが来る。
自立と自律。今日のこの経験がトラウマにならないことを祈る。

幸い、後日談としては、今では全くもって元気に普段どおり遊びまわっている。sun
このときの経験は、辛く楽しい自分の勲章話crownとして良い方向で記憶に残っているようだ。

 

突然、さらに天候が悪化した。typhoon
ザーというドシャ降りとともに雷鳴も一層大きくなった。thunder
外に居た登山者達も一斉に山小屋へ非難を始めた。自分達もすぐに最寄りの山小屋の中へ入った。
時間は午後1時40分。標高3700m地点の富士山の山頂での出来事だった。

 

山小屋の中では非難した登山者でごった返している。ぎゅうぎゅうでビショビショになったレインコートを脱いだり、休憩しながら食事している人たち。
落雷の危険から電気は一切つけていない。昼間といっても窓の少ない山小屋の中は薄暗いままだ。
数m先にいる別の登山者の顔すらよく確認できない。
店入口の引戸の硝子の向こうには、真っ白に明るいけれども透明性のない空間があるのみだ。
外からは打ち付ける雨風の音、雷の轟音が続く。

山小屋の従業員さんたちがしきりに言い続ける。
「詰めて座ってくださーい」
「カッパは脱いでくださいねー」
「携帯電話の電源はすぐ切ってくださいねー、雷落ちますよー」

こんな事は日常茶飯事だ、とも聞こえる口調で繰り返している。
なかば面倒くさそうに、母親の小言のような口調だ。
しかし逆にそういう危機感から離れた口調が、かえって非日常的な境遇の不安から開放させてくれる。

そんなに大したことではないのかな、時間が経てばすぐ収まる一過性の天候かもしれない。
焦って下山しても危険だし、ココにいれば当分安全だろうからすこしジッとしていよう。
土間の入り口ような長い座席が縦長におかれ、いくつか並んでいる。
ぎゅうぎゅうにひしめき合った人達は各々不安と安堵の繰り返しで会話をしている。

息子はまた眠っていた。どこでもすぐに眠れる状態で育ってくれて助かる。
神経質に育っていたら、今頃ここにいることが出来ただろうか?
大雑把で天真爛漫なB型に救われた。たとえ日常でやんちゃなことがあろうと、生きていく強さはこういうことをいうのかもしれない。
もって生まれる天性のものか、はたまた育つ環境のものか・・・
いずれにせよ、今はそっと寝かせてあげられる状態がとても幸せな時間だった。
自分も座った体勢のまま、息子を膝の上に乗せて少しウトウトした。

 

下山の翌日に知った事だが、当日2008年8月9日、午後1時50分頃 富士宮口で下山中の一人が落雷で命を落とした。
夏の行楽の悲惨な事故として報道された。
わざわざ危険な所や危険な事を行うべきではないと非難する声は、もちろんある。
不運な事故と言えばそれまでだが、同じ境遇に居合わせた者として、複雑な心境と共に心からご冥福を祈る。
生と死とは常に隣りあわせであり、決して遮る事も、逃れる事も出来ない。受け入れるしかない事実なのだ。
改めて命を大切にする気持ちを持つ、自分だけでなく世界の全てに対しても。

 

約一時間経った。午後2時半過ぎ。
一向に天候が回復する兆しは無い。
息子はまだ熟睡していた。少しは体力が回復できた頃だろうか?

あるツアーの案内人が「○○○の参加者は下山しまーす。準備してくださーい。」と言った。
ごった返す山小屋の中で人の移動が起きてきた。
このまま居ても同じなら、下山するしかないかな・・・。団体で降りるなら気持ちも和らぐし・・・
少し覚悟を決めていた頃だった。

さっそく友達へのお土産をそのお店で購入し、最後の目的を果たした。

いよいよ本当の正念場、下山をする時が来た。

もちろん天候が回復したわけではない。まだ引き続き、雨と雷は鳴り響いているままだ。
改めてレインコートを着込み寒さ対策も施した。
ザックを背負い、山小屋の入り口を出た途端、唖然とするような光景が目に広がった。

 

白い・・・

真っ白だ・・・

 

うっすら、と言うよりは明らかに厚く、雪のような白い地面が踏みしめられた形跡を残しつつ満遍なく広がっていた。
霰(あられ)が雹(ひょう)に変わり、降り積もったようだった。
今現在は霰も雹も降っていなく、やや大粒の雨と変わっていた。

気温は相当低い。おそらく一気に冬並みになっていたほどだろう。
悠長にプロトレックで気温を測る余裕などもなく、すぐにでも下山して暖かい環境に戻りたくなった。
トイレに寄ってから、ツアー団体の後にくっついて一緒に下って行った。
靴も軍手もびしょ濡れで、防寒の役割など当に失っている。
子供は足がかなり冷たくなってすぐに歩けなくなった。
再び、おんぶをし気力を振り絞って下山を始めた。

数分下り始めてから、ひとつ重大なことを思い出した。

頂上での記念写真を一枚もとっていない・・・

ココまで来て・・・

頭の中がグルグル回る。

戻るべきか諦めてすぐにでも下山すべきか・・・
空では雷が鳴っている、すぐにでも下山しないと危険であることには間違いない。

しかし選択したのは・・・子供を背負ったまま、また登ったのだ。

「えーい、考えてる間があるなら戻っちゃえ!こうなったら勢いだ!」

間違いだらけの選択ばかりしてきた登山
すべきではない、してはいけない選択肢ばかりを選んできた。

ココまで来ればもう一つの間違い選択くらいどうってことなくなる。
むしろ、後悔だけはしたくなかった。心に焼き付けるとともに、形に残せるものが欲しかった。
幸い下り始めてまだほんの数分だった事もあり、すぐに山頂に戻れた。
まだ残っている登山者にカメラのシャッターを頼む。
快く引き受けてくれて、決死の記念写真を撮ることに成功した。

080903_03_2
親子で登頂記念。霰が降り積もって真っ白に。

これで全ての目的は達成した。あとは無事下山をするだけだ。
下山は登りと比べ物にならないほど時間がかからない。
足腰に来る負担は別として、普通の大人で3時間程度、早い人ではその半分で下りきる。
今の時間は2時50分、遅くとも日が暮れる前には下山できそうだ。

今思えば、既にパニック状態になっていたのだ。
思わぬ自然環境の変動に対応できず、適切な判断が出来ていない。
とにかく「下山したい」と思うだけだった。そして、その先の長さに絶望もしていた。
このまま本当に下り続けられるだろうか?
不安と恐怖に追い詰められ、盲目的にひたすら歩き続ける。
子供をおぶって下る富士山の下山は想像以上にきつい。
登りで使い切った筋力が限界を超え、しんしんと力が抜けてプルプルと震える。
担ぐ手の力も寒さで感覚がほとんど無い。sweat01

080903_02
雷雲の中、積もった霰の下山道。

こういった状況からどんどんパニック状態に陥っていく。
冷静にしているつもりでも、本当に適正な判断が出来ないのだ。
下山に固執する。
安全を確保することが思いつかない。
なぜ、途中の山小屋に泊まらなかったのか?
なぜ、下山する事に固執したのか?

その理由は、翌日に予定もあったこと、何が何でも帰りたいという気持ちからだった。
遭難する理由はおそらくこういったパニック状態が重なることが原因だろうと思った。

予算的に宿泊が無理だったわけではない。
さすがに八合目の山小屋では休憩をしようと思っていた。
しかし、現実とはそううまく行かなかったのだ。宿泊準備のため、まんまと休憩を断られてしまった。

力なく、途方に暮れる・・・sweat02
風は冷たく、体温と体力を益々奪っていく。
雨も無常に打ちつけ、雷鳴もまだ鳴り響いている。風のヒュウヒュウという音が悪戯に通り過ぎる。
陽射しの下ではあれほど心地よかった風が、機嫌を損ね冷淡に攻撃をしてくるかの如く。

息子は泣きながら
「寒い・・・寒い・・・」と歯をガチガチさせている。

自分の体力も限界でこれ以上おんぶする力もない。

 

本当に、絶望だった・・・

 

息子の唇がどんどん色彩を失う。
抱きついて擦りあっても全く暖まらない。
力ない息子に、どうすることも出来ない無力さ。

気力を振り絞って、肩車をしながら一歩一歩フラフラと、ヨロヨロと下っていく。
何が何でも下るしかないんだ。自分しか居ないんだ。息子を守るのは自分しか居ない。
絶対に下ってやる!

強く思う気持ちが続くのはほんの一瞬。
すぐに身体が悲鳴をあげる・・・
とにかくゆっくりと、ゆっくりとしか下れないのだ。
数歩歩いては休み、数歩歩いては休み。
時には息子自身にも頑張って歩いてもらいながら。

徐々に少しずつ少しずつ下っていく。
息子は歩くたびに泣き出し

「もう、歩けない~・・・寒い・・・・冷たい・・・」

限界を通り越し、絶望の中、希望のかけらも感じられない。
最悪の状況を想像する。

本当に、寒さと疲労により息子が死んでしまうのではないかと思った。
今すぐでなくとも、下山後に高熱を出して意識不明になるとか、仮死状態になってしまわないだろうか?
恐怖という感情は、そうそう長く感じるものではないかもしれない。
誰しもが、一度や二度は一瞬ゾクッとか、ヒヤッしたことはあるかもしれない。
しかし、息子の死とは、今この瞬間からずっと続く恐怖だった。
そう考えた時、カミさんや他の人の悲しむ顔が浮かんできた。
そして自分自身には非難の目線が突きつけられた。
絶対にそれだけはあってはならない。
自分自身は体力こそ限界だったが、気力だけはまだ持ち続けられた。

これこそが、登りのときとはまた違う、真の愛情なんだと思った。
まさに死に物狂いだ。絶対に生きて、無事に下山しなければ・・・

思えばこの時も、また途中の山小屋に宿泊を尋ねる、という選択が思いつかないくらいパニック状態だったのだ。

現実にまだまだ道のりは遠く、時間を考えれば考えるほど途方に暮れた。
寒さも厳しく、歩かなければ凍えてしまう。
歩く体力は寒さによってむしりとられていく。
もうろうとした意識の中、ザクザクと音を立てて進むのみが今出来る唯一のことだった。

とにかく意地だ。
歯を食いしばり、力の限り歩き続ける。

080903_01_2

まだ標高は3000m超の高所。時間だけは着実に過ぎていく。気付けば16:30をまわっていた。
登山開始から16時間、ここまで絶体絶命の状態に陥るとは微塵にも思わなかった。
試練と言うには厳しすぎるくらいの大自然の仕打ちだった。
何度も何度も息子に謝り続け、「頑張ろう」と励まし続け、悔やんでも悔やみきれない状態。
涙も枯れ果てるほどの気持ちとはこのことを言うのだろう。

不安と恐怖と後悔というマイナス面を抱えたまま、まだまだ下山は続く長き道のりであった。
死線を越えて・・・帰るべき場所を目指して・・・

 

後日報道された富士山情報に

富士山初冠雪、今年は8月9日…94年ぶり最速記録更新

甲府地方気象台は27日、富士山で8月9日に観測された冠雪が今年の初冠雪だったと発表した。

観測を始めた1894年以降では最も早く、1914年に記録した8月12日を、94年ぶりに更新した。また、昨年より58日、平年と比べて53日早かった。

富士山では、山頂の1日の平均気温が年間で最も高くなった日以降、甲府市にある同気象台から初めて冠雪を目視で確認できたときを初冠雪としている。今年は7月21日の平均気温が10・6度で最も高く、今後も上回る見込みがないという。

山頂の山小屋の従業員によると、9日は山頂から8合目にかけてひょうが降り、3センチほど積もったがすぐに溶けてしまったという。

(2008年8月27日21時22分  読売新聞)

ノリに乗ってこの山行記が大げさな文章表現になっているのは重々承知だけれども、
後日報道された94年ぶりの記録更新に居合わせた偶然に、どこかドラマを感じてしまう現実だった。

本当に、二人にとっては過酷だったのだから・・・

 

 

つづく

次回、無事下山となるか?
“感じる、命の温度”

プロフィール

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    上州風っ子じんです 詳細

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