富士登山'09

今年も親子で富士山fuji登ってきました

富士登山 一度も登らぬ馬鹿に二度登る馬鹿

と言われるようですね

今年で五度目の自分は馬鹿以上のようです

なぜ登るのか?

自分自身の試練ですrock
修行デス完全に

努力、健康のバロメーターrun

頂上に登るまで、常に自分との戦いなんです
ツライ、イヤなら下るだけ

達成感と爽快感を求めて、ひたすら上へ上へ

常に自分の内面との会話です

体力の限界 高さの限界 日本一の高みへ行ける喜び

どんな人でも、日本一の高さに辿り着けるんです

 

ま、完全に自己満足の世界なので、アンテナに引っかかった人は見てみてください。
写真をいくつかUPして、当日の様子をお伝えします。

今年は富士宮(静岡県側で山の南側)からの登山道に挑戦しました。
なんといっても五合目が2400mと一番高い場所から登り始められて、往復の距離が一番短い登山道です。
前回が無宿泊の須走口できつかったので、今年は八合目の山小屋を予約してゆったりプランで登りました。

平成21年8月14日(金)
自宅出発7:10~水ヶ塚公園10:00着
水ヶ塚公園~シャトルバス~富士宮口から出発

非常にゆっくりゆっくりのペースで
11:00 五合目
11:30 六合目
12:35 新七合目
14:10 元祖七合目
15:40 八合目 山小屋到着

翌日(15日)
2:00 八合目出発
4:00 九合目
※子どもがやや高山病で気持ち悪くなり、かなりゆっくりペース
 九合目の山小屋で一時間半休憩、そして御来光を見る
6:00 九合目五勺
7:50 頂上

こうやって時間軸を見てみるとかなりかかってますね・・・
でも、子どものペースで本当にゆっくりと、何度も何度も休みながら登りました

20090819_01
九合目からの御来光
空気が澄んでいて広がる雲海から登ってきた太 陽は最高でした

 

20090819_02
九合目と九合目五勺の途中です
完全に陽が出て雲海がはっきり見えますね
もはや仙人のような気分です

 

20090819_03
富士宮の頂上の鳥居です
後ろの雲海がかなり下のほうに見え、水平線まで広がっています
やや丸くなっているのが分かるので、地球の丸さを目で確認できるほどです

 

20090819_04
富士宮の浅間大社前です
左側は郵便局です
空は真っ青で雲ひとつないキレイな状態でした
風もなく、穏やかな山頂は前年とは大違いでした

 

20090819_05
大内院 富士山の火口ですね。
残雪がうっすら残っています。
写真で見るよりもはるかにデカイです。
お鉢巡りをすると一周一時間はかかります。
 

20090819_06
測候所、剣ヶ峯(3776m)への道
頂上へついても、さらに登る必要があります
前年は辿り着けなかった更なる高み
ココが一番高い場所です
最後の坂道がわずかに見えて、結構時間がかかります

 

20090819_07
剣ヶ峯の碑にて
順番に記念撮影するため、結構な行列になっています
位置は西側で、東方面を見ての撮影です
東方面は須走口と富士吉田口(河口湖方面)からの登山道・下山道となっています
そっちから登ると、頂上についてもココまで来るのにも結構しんどいです
富士宮からのメリットは剣ヶ峯に一番近いということもあります
そして郵便局もすぐということも・・・

  

20090819_08
剣ヶ峯のちょっと下あたりから浅間大社や山頂山小屋方面を見た様子です
空と雲の間がぼんやりしてますが、白い部分は全部雲です
真ん中の四角い白い屋根が山小屋です
富士山は本当に雄大です

 

今年で、数えて5度も登っていました

前年(2008年)にのぼり、山頂で雷鳴の鳴り響く中、浅間大社へ合格祈願をし
見事その祈願が成就したため、今年は是が非でもお礼参りをしたかったのです

自然の天候に任せるとはいえ、好天候に恵まれ無事に登山・下山できました

子どもも今年はかなり頑張り、時間はかかったとはいえ、一度も弱音を吐くことなく、全部自分の足で登って下りました

おんぶも肩車もなく、すべて自分の足で登ることに絶対決めていたようです

気持ち悪くなって登れなそうになったことも、悔しいようで葛藤している様子がけな気でした

いずれにせよ一年の成長を親子とも感じることができ、今年の富士登山は大成功に終わりました

 

去年のようなドラマチックなネタになるような事もなかったわけですが

無事が一番、なによりですね

 

富士山行記9【帰宅】

~~家に帰るまでが登山~~

2008年8月9日 午後8時半過ぎ

シャトルバスが駐車場に到着後、打ちあがる花火が霞んだ夜空にきらめいている。
ドカーンと響く爆発音が、山間を何度も跳ね返りこだましていた。

群馬からの親子は、というと・・・
無事下山をし、休む暇もなく着替えを済ませ、最寄の日帰り温泉に向かおうとしていた。
とは言っても、まったく周辺情報を知らないため、まずは、すぐ近くのローソン小山町須走店へ向かったのだった。

店員の人に
「この近くに日帰り温泉とかってありますか?」とおもむろに聞く。

買い物もしないで。

着替えたとはいえ、クーラーの効いた店内が異様に寒く感じたのだ。極限の疲労で体温調節が上手くできていなかったのかもしれない。

店員「すぐ、近くにありますよ、テンケイっていうのが。そこの信号をまっすぐ、5分くらいですよ。

 

天の恵みと書いて天恵、今日の二人にはなんともピッタンコなネーミング。まさに天からの恵みのような温泉だ。早く入ってゆっくりしたい、気持ちだけはもう到着しているかのようだ。
早速車を走らせる事5分。山間の道で少し不安になったが、明るく広い場所に堂々とあった。
駐車場に車を止め、当然のごとく眠ってしまっている息子を起こす。

父「おーい、起きろ~、お風呂spa入るぞーup

子「う゛ーん!ヤだ・・・ムニャムニャ・・・sleepy

寝ぼけまなこで、一向に起きる気配が無い。完全に充電タイムに突入してしまった。

父「オイッ!sweat01起きろって。温泉に着いたぞー!」

子「フギャーッ!ギャンギャン!」

まるで、威嚇する猫のように鋭く、釣られた魚のようにビチビチと大暴れ。

アンタ・・・コレでも寝てるのか?おい・・・sweat02

しばらく、車から降りずにそのまま経過を待つ

結局、起きない。

うーん、コイツを置いて1人で行くのもなぁ・・・sweat02

しばらく考え、まずはカミさんに電話した。
そういえば無事の報告をするのをスッカリ忘れていたのだ。flairまだ思考停止が続いているようだった。
過酷な状況をサラッと報告し、風呂入ったら帰ると伝えた。

しかし、カミさんは「ビジネスホテルにでも泊まって明日帰っておいで」と言う。

たしかに、もう9時近くだし、キャンプ場に行くってのも受付けどうなんだかなぁ?
ウーン・・・ビジネスホテルbuildingか・・・
受付するのにコイツを起こしたり、部屋に連れて行くのもめんどうだしなぁ・・・

とにかく、思考が面倒なことは避け、より楽に楽にと考えてしまう。

そして、最終的に考えたことは

 

高速で帰るべcar

 

せいぜい、2時間半だろ、休み休みで行けばなんとかなるな。

最後まで安易な思いつき、過信による判断選択。コレがとんでもない経験をすることになることは、今までの流れ同様に、知るよしも無い決断だった。
結局温泉にゆっくり入ることもなく、なんともいい加減にも富士山から発つきっかけとなった。

 

まずは、東富士五湖道路 須走~富士吉田
せいぜい20分程度の道のり、ちょっと疲れたな~くらいの感じで難なく通過。
そして中央道 河口湖~大月JCTまで
ここも20分程度の道のり、なんだこのまま楽に行けちゃうじゃん、と気楽な状態。

そして、中央自動車道に入って5分程経過したあたり
なんとなく眠気が・・・zzzz

(-_ゞゴシゴシ

Σ(・o・;) ハッ!

の繰り返しが数回

眠気とは突然、襲ってくるものだった。

コイツが睡魔かshadow

Σ(・o・;) ハッ! の後の胸のドキドキ ホンの一瞬なのに目の前がパチンとする。

よく古いTVの映りがパチンと切れて入りなおるような感じ。

一瞬我を失ったあの瞬間があんなにドキドキするとは夢にも思わなかった。
今まで、釣りや行楽でソコソコの遠出をしても、そこまでのような現象はなかった。
ましてや居眠り運転などは過去に一度も無い。それだけ限界域での運転をしたことが無い、とも言えるのだが。

今回は明らかに今までと違う現象だったので、これはヤバイと思い、すぐさま最寄の談合坂SAへ入る。夜9時過ぎとは言え、さすが大きいSAは人の賑わいが違う。

眠気覚ましに何かデザートでも・・・と、おもむろにご当地ソフトでもないか探し出す。
が、すでに店が閉まっていて、軽食というよりは明らかに食事になってしまうメニューしかない。

仕方が無いので、自動販売機で三ツ矢サイダーを買った。普段めったに炭酸飲料を飲まないため、眠気覚ましに刺激的かなと思って選択。懐かしい味だ。
ちょっとした気分転換も含め、リフレッシュしてまた本道に入る。
口に流し込む炭酸の刺激が、眠気とちょうど良く相殺され集中力も増してきた。

眠くなるたびに、三ツ矢サイダー。ゴクッaquarius

眠くなるたびに、三ツ矢サイダ・・・。ゴクッaquarius

眠くなるたびに、三ツ矢サ・・・。ゴクッaquarius

眠くなるたびに、三・・・・。ゴクッaquarius

眠くな・・・・。ゴ・・・sleepysleepy

 

sign03sign03sign03sign03sign03sign03

アレッ?今寝てた?俺?(◎-◎)

 

明らかに、意識が朦朧としてる感じ・・・

 

危険danger危険danger 変なドキドキが余計にゆとりを奪う。

そうこうしている内にいつの間にか八王子JCT。そのまま圏央道へ。

この圏央道・・・通ったことがある方はご存知かもしれないが、開通した八王子から青梅辺りまで、ほとんど景色の変わらないトンネルや壁に覆われた道で変化がない。

気持ちはしっかりと、というつもりでも、脳が全然働いていない。
遠くに見える電光掲示板やライトがにじんで見える。
トンネルの両サイドのオレンジのライトなどは、まるで火を吹くドラゴンみたいだ。
道端にあるちょっとした反射板が人に見える。

幻像が見え始めた・・・

こりゃヤバイ!なんとかSAに緊急避難だ!

が、行けども行けどもなかなかSAがない・・・
時速80キロ以下で、トロトロと・・・気付くと60キロを下回っていたり
交通量の少ない圏央道で良かった。今だからこそ言えるが、圏央道の通過はほとんど覚えていないくらい、朦朧と運転していたようだ。

考えてみれば無理もない。8日の朝から起きて仕事して、その夜に仮眠しただけで富士山往復して9日の夜まで起きているのだから。ほとんど寝ていない状態で限界を超えた死の世界に足を踏み入れていた。

実は圏央道は狭山PAのみしかなく、それもずっと関越自動車道よりだったのだ。

やっと見えたコーヒーカップのマーク。すぐさまウィンカーを出し、おもむろに駐車場に車を止めた。
なにやら地元の若者か、それとも旅行の途中かわからないが、大音量による音楽が賑やかに流れていた。
これが、有名なウーハー族かぁ、ちょっとしたコンサート会場のようだ、なんともスゴイもんだなぁ~、と感心しつつも
ドンドコと宗教的な楽曲に似た重低音の心地よさにすぐに眠りに入っていた。

 

しばらくたつこと数十分・・・まだ1時間も経過していない

 

(;゚ロ゚)ハッ

ココはどこ?ワタシはダレ?

看板を見る・・・狭山PA・・・

 

(゜Д゜) ハア??

えっ?何?ドコ?何でココにいる?家じゃないの?

 

寝ぼける一瞬を客観的に感じ取れる人はどれだけいるだろうか?

今まさに、飛び起きた瞬間、我を失っていた・・・

冗談抜きで、何が何だかサッパリ分からない状態だったのだ。

コレが寝ぼけかーsweat02

全然何が何だか分からなくなっちゃったなー
高鳴る胸のドキドキ、夢を見ていたかのような非現実的な現実。

さっきまで運転してたと思ったのに・・・

いつの間にSAに入ったのだろう?

夢で運転をしていたのか、運転をしながら夢を見ていたのか・・・

とにかく、すべての世界が信じられなかった。

あぁ・・・早く帰りたい。とにかくウチに帰って布団で眠りたい。
心から安らぎを求める瞬間だった。富士山の下山中よりも安らぎを求める。

 

よっしゃ、少し寝て落ち着いた。また元気が出てきた。なんとかなるかな、頑張って帰ろう。
まだ、ウーハー族が賑やかに振舞っている。なんとなく危険な感じだから、さっさとオイトマしよう。

おもむろに、圏央道に乗り込み、帰りの道を進んだ。

順調に鶴ヶ島JCTから関越自動車道へ。あとはだいたい40分くらいだ。
もう、ココまで来れば・・・

 

が、しかし・・・

 

睡魔は安心とともにやって来る・・・・そう何度でも

恐るべし睡魔sweat01

ヤツはすぐにやってきた。自分に乗り移るのが楽しくて仕方ないように。
コックリ・・・コックリと、ヒヤリハットの状態が何度も続く。

またしても、極限状態で生きた心地がしない。

やっぱりダメだ。もう一度SAに入ろう。そして入った場所が上里SA。
埼玉県と群馬県の県境にあるところだ。ここでまた一眠りをしよう。
もうココまで来れば、あとは藤岡JCTと高崎JCTを通り越してすぐだ。

あせらず、ゆっくりと休んでいくことにしよう。

あっという間に、眠りについた・・・。今度こそ安堵の状態で。

 

が・・・

そんな静寂は30分と持たなかった。

 

子「とーちゃん、ココドコ?家に着いた?

 

Σ(゚皿゚) ガビーン!・・・

身内かよ・・・っていうかオマエかよっannoy
っていうか、さっきまで寝てたじゃんannoysign01
起こしても起きないくせに、勝手に起きやがって。
せっかくいい気持ちで寝てたのに・・・起こすなよぅ・・・down

恐るべし我が息子sweat01sweat01

睡魔もイヤだけど、安眠を奪うこんな息子もイヤ。
イヤ、むしろそれでこそ我が息子。それなりのオチをありがとう。

息子に起こされ、眠りから覚める。時間は11時過ぎ12時に近い。

結局少し眠ったので、疲れもやや回復した。

父「よし、家に帰るか!」

気分的には神津牧場ジャージー牛乳ソフトが食べたかったのだが、店に入って確認する気力もなし・・・

 

また、本道に入り我が家に向かった。その後は順調に、大きな事故もなく無事に我が家に到着した。
結局、息子はまた眠ってしまったが。

 

帰ってくると平穏無事。だが、一歩出ると想像を絶する世界につながっている。
世の中とは、自然とは、なんと面白いものなんだろうか。

今回の登山で、親子ともに立派に成長できたことだろう。
そして、何より家族というものの存在に幸せを感じた旅だった。

間違いだらけの選択の中、様々なものの恩恵と守護をうけながらも、ようやく、二日間にわたる親子の大冒険が幕を閉じた。

 

この翌日、10日には友人宅でのBBQに招かれ、武勇伝に花が咲いたのは言うまでもない。
すべては、7日の準備している時に来たこのBBQお誘いメールが、すべての決断の根幹にあったことなど、今となっては笑い話で終わらせられる・・・

 

 

 

 

あとがき

なんてことない親子二人の富士山の登山の様子を書いてきましたが、書いていて自分自身でも改めて思い直すことや、感じる出来事もあり、独りよがりかもしれませんが結構充実した一時でした。
最初はこんなに長編になるなんて思いもしなかったのですが、書いているうちに盛り上がってしまい、ドラマティックに仕立ててしまいました。長話しになり申し訳ないと思いつつも、一生懸命読んでくれる方や感動して涙を流してくれる方のコメントなどがより励みになり、つい調子に乗ってしまいました。
ここまで読んでいただいて本当にありがとうございました。
富士山を甘く見てはいけない、というメッセージとともに、一番甘く見ていたのは自分自身であり、過信というものへの戒めを込めました。また、親子の絆というものや、子供の頑張りというのもまだまだ世の中捨てたもんじゃないな、と希望も込めてます。
読み手がそれぞれ何かしらを感じ取ってもらえるキッカケとなれば、これ幸いに思います。
あと、居眠り運転だけは絶対避けたほうがいいですねbomb
避けられないから眠ってしまうんでしょうけど・・・そうなる前の準備が肝心かsweat02

 

最後の参考写真
これが息子の勲章デス
080906_01
オモテ(扇屋オリジナル、と言ってました)

080906_02
ウラ(日付と名前の刻印)

1,400円moneybagチーンsweat01

富士山行記8【生還】

~~感じる、命の温度~~

2008年8月9日 富士山 須走口下山道

トボトボと、ヨロヨロと力なく親子二人の姿があった。
時に肩車で、時におんぶで、時には二人それぞれの足で。

 

途方にくれながら歩く姿に、追い越す他の登山者が優しい言葉をかけてくれる。
「大丈夫ですか?」
「どちらまで行かれるんですか?」
「あぁ、まだまだありますね。頑張ってくださいね」
「やぁ、大変だぁ」

孤独にコツコツと下るより、そういった声が係ることがよっぽど心強い。
しかし、明らかに人はどんどん少なくなってきている。皆、足早に下山を済ましたい気持ちでいっぱいなのだ。sweat01

絶体絶命の状況で、不安と恐怖と後悔の念を抱きつつも、気付けば現実的にだいぶ下ってきた。
普段の倍以上時間がかかっているが、着実に下っている。
rainも弱くなり、ほとんどパラパラと砂がかかる程度にもなってきた。

ココまで来れば、というほどの場所ではなかったが、気持ちが急いでもどうなるものではない。
少しばかり落ち着いた気持ちを取り戻し、風をよけるため岩のくぼみに二人して座った。

子「寒い・・・お腹すいた・・・

父「おー!そうか、食う元気があるか。」
すこし元気な口調の声色に、僅かな希望の兆しが見えた瞬間だ。

父「あっそうだ!バーナーもあるし水もある、暖かいカップラーメンnoodleでも食べて身体を暖めようflair

なんで、このことをもっと早く気付かなかったのだろう?
と改めてパニック状態だったことを思い出す。
準備に準備を重ねた結果、暖かいモノを食べる事が出来る。これほどの安心があったろうか、と思うほど、心から安堵の気持ちが溢れてきた。

まだまだ不安はあるが、それを勝る安心への欲望が次から次へと湧き出してきたのだ。
おもむろに火をつけ、まずはお湯を沸かす。漏れる炎に手をあて、火の温かみに命の温度を感じる。子供も徐々に元気になってきた。死への不安は徐々に和らいでいった。sun

こりゃ絶対に風邪を引くな、と思ったが、死ぬほどの高熱は出ないだろうと。

父「無事下ったら、あったかい温泉spaに入ろうな」

子「じゃあ、すぐにお風呂に入っていい?」

息子が言いたいのは、いつも身体を洗ってから湯船に入るように言われているため、今日ばかりは洗わないでそのまま入ってもいいか?と、聞きたかったのだろう。律儀と言うか純粋と言うか・・・
それだけ暖かいお風呂を心から求めていたと言う事だ。

父「いいよ、いいよ、もちろん(笑)」

二人に少し笑顔が出始めた・・・happy01

 

風こそ冷たいままだったが、雨はやみ雷の音も小さく、遠くに移動していったようだ。

残りのオニギリを食べ、暖かいスープと共にカップラーメンを頬張る。
舌の感覚は鈍く、味覚が機能していないと感じながらも、とてつもなくウマイ。
温かさとは、命そのものなのかもしれない。
人の温かさ、心の温かさ、食べ物の温かさ。食は命をつなぐ無くてはならないものだ。

近年良く叫ばれる「食育」という言葉。
添加物の無いもの、有機栽培、無農薬、栄養のバランス、食生活の乱れ・・・
コンビニのオニギリ、インスタント食品なんて「食育」からすれば論外だろう。

しかし、我が家の「食育」は、まさにこのカップラーメンだ。
温かいインスタントラーメンが命をつなぎ、希望が沸き溢れた。
本当の意味での「食育」とは、食と物の間にある命を感じ取って始めて進められるのではないか?
結局は、見せ掛けや飾られた知識や技術などという表面しか見えていないのではないか?
マスコミにちやほやされる様な迎合された薀蓄などちゃんちゃらおかしい。
決して、高いお金を払って健康を維持することや、良質の食物を食することではない。
農業問題や自由貿易、ドーハラウンドなどの大問題の根源は、先進国の搾取と言われる。
「食育」を理由に経済的格差をより加速する可能性だって否めない。

ま、感極まって偉そうに大言を吐くのはホドホドにしておこう。pig
とにかく、本当に美味かったのだ。

何分くらいそこに留まっていただろうか?おそらく30分以上はいたと思う。
ちょうど下りと登りが入り混じる地点だったため、人の行き交いもやや多い。

そんな二人を見かねた良心的な登山者が、息子にアメをくれた。
登りの時と違って、今度は快く受け取った。甘いものにはエネルギーがある。

疲労に隠されていた空腹も満たされ、高度も下がったことにより気温も、そして体温も上昇してきた。
このまま踏ん張ればなんとか下山できるかもしれない。
本当に今の今まで、下山できるかどうか、不安で不安で仕方が無かったのだから。
これほどの勇気が沸いたのは何年ぶりかというくらいに。shine

父ちゃんの不安や迷いは一切払拭された。punch
息子を肩車して歩く歩幅にも力が蘇る。ただ、肩に係る痛みはこらえなければならなかったが。

多少元気が出てきた息子も、徐々に自分の足で下れるようにもなった。
もちろん、まだ泣き泣きだが。

 

18:00に近づく頃には、七合目大陽館の所まで来た。ここまで来れば一安心だ。
まだまだひたすら歩くわけだが、砂走と呼ばれる急勾配のザレ場を一気に下る。
ザクザクと進む一歩が大きく沈む。スキーで下ればあっという間だろう。
晴れた日に下ると砂埃が舞い上がり、真っ白になるほどだ。
幸い降った雨によりしっとりとした岩石は、多少の重みも含みながらも、澄んだ空気を保ってくれた。

早く下れると言ってもやっぱり長い。

ザックザックザック・・・

ザックザックザックザック・・・

下っても下っても先は長い。

一向に縮まらない。

徐々に日が暮れ始めた。高度が一気に下がるので気温も上がったように感じる。

 

息子もだいぶ力が蘇ってきた。もう、ほとんど肩車をしなくても自分の足で歩いてくれている。
落ち着いてきた安心感と共に会話も弾んでくる。

父「父ちゃんは、今回で本当にお前のことを見直したぞ!」

(*´σー`)エヘヘ、嬉しそうに照れる息子

子「父ちゃんに富士山連れてきてもらって良かった。疲れたけどね」

父「そうか?もう二度と登りたくないだろー?コリゴリだな」

子「うん、でもそんなにヤじゃないよ。雪が降って寒かったから歩けなかったんだよ」

なんとも大きいことを言う。子供はいつでも大言壮語だ。
しかし、そんな力強い言葉が何よりも嬉しかった。

父「ホントにホントにゴメンな。謝ってばっかりだけど、謝りきれないよ」

子「別に平気だよー。自分で行きたいって言ったんだからさ!」

父「ほんとか~?ついさっきまでベソかきながら『歩け゛な゛い゛~』って言ってたじゃんかー(笑)」

些細な会話であるが、本当に親子の絆を感じることの出来る会話だった。
何よりも替えがたい、一生の記憶に残しておきたい、とても大切な会話だった。

足早ながらも無理をせず、ザクザクとひたすら下っていく。

 

下山最後の山小屋 砂払五合目 吉野屋に到着したのは19:00に程近い夕暮れの時間だった。

靴の中に入った大量の小石をザーッと振り落とす。
もう靴もボロボロ、靴下もボロボロになっている。おまけに心も身体もボロボロだ。
でも、ここまで来ればもう何の迷いも無く、最初の登山口まで帰ることが出来る。
限界をとうに超えた、自信と確信に満ち溢れた気持ちだった。

風はぬるく、湿気と共にまとわり付くような空気を送ってくる。

 

最後は30分程度の樹林帯を抜けて登山口に帰る。
閉まったヘッドライトを再び装着し、徐々に暗がりが覆う樹林帯の奥へ奥へと進んでいった。

目印になるのは下山道の道しるべとなる矢印の看板とロープのみ。
木々の間から漏れる空の色が徐々に濃くなり、藍色から濃紺へと変化する。
そして、遂に完全に日が暮れ真っ暗闇の樹林帯になった。

登山開始時と全く同じ風景。下っているということを除いては。

子「ねぇ?まだ着かないのannoy?間違ってるんじゃないのannoy?この道で合ってるのannoy?」

意気揚々と登り始めたスタート時とは全く違い、歩いても歩いてもゴールに着かない不安が押し寄せているらしい。

父「大丈夫、大丈夫。この道で合ってるさ。(不安だけどね)sweat02

まぁ、下山なんてそんなものだ。sweat01

自分で思っているより長く、そして突然にゴールに着くのだ。

何度も「まだ?まだ?」の泣き泣きの問答を繰り返しながら、今から登りはじめる登山者とすれ違いながら、やっとのこと見覚えのある神社の建物の横に出た。

あとは石畳の階段を下ればゴールだ。

つまずかないように慎重に一歩一歩下る。

頂上へ到着するのとはまったく別の、安堵に満ち足りた安心感に包まれる。

 

帰ってこれた・・・

 

なんとか無事に。

無事ではなかったのだが、無事だった。

本当に良かったshine

ほぼ日常に戻ってきたお陰で、まともな精神状態に戻れた。

これこそ生還。

 

このとき19時20分。まるまる19時間の富士山の日帰り登山が今、完結した。

もう二度と須走口から登るもんかannoysign03

本気で思った一番最初の感想だった。

しかしよくよく考えると以前もそんなことを考えていたような、微かな記憶が残っている事実も否めない。

息子はしきりに
「バスが行っちゃうよ!早く!早く!」

父「ちょっとくらいお土産でも見ていこうよ」

店内に入って、物色するが、疲労と安堵により思考はほとんど停止している。
考える事も億劫なうえ、どうやらバスの出発時間が19:30らしいので、何も買わずに店を出た。

 

バスは30分おきに出発する。下山後ゆっくり休む事もなく、せわしくバスの発着所に向かう。
他の下山者も同じように発着所に集まってきた。
おもむろに帰りのチケットで受付を済まし、ようやくバスに乗り込んだ。

ほんの数時間前までの境遇と、今この現状とのギャップから、悪夢から覚めたような不思議な思いを巡らせた。
いずれも現実だったのに、今となっては本当に悪い夢のようだった。

いずれにせよ、

本当に無事でよかった・・・生きて帰れて

 

子連れで日帰り登山なんて無謀なことは、絶対やったらイカンと。改めて、イヤ、今更深く思ったバスの中だった。
息子はバスが走り出したと同時に電池が切れたように眠ってしまった。
自分もいつの間にかウトウトとしていた。
右へ左へゆらゆらと揺れる下りの道のりが、なんとも心地良い眠りを提供してくれた。

駐車場に着いたバスから続々と人が降りてゆく。息子を揺り起こし、寝ぼけ眼のまま一番最後にバスを降りた。

やっと着いた・・・

さて、片付けをして温泉でも行くか。

突然、大きな爆発音が聞こえるとともに、キラキラと光る夜空の風景。
丁度、その周辺で夏祭りをやっていたらしく、メインの花火大会が始まった頃だった。

まるで、自分達の登山の達成をお祝いしてくれているかのようだった。
2008年8月9日 20:20 今まさに、親子二人の登山は幕を下ろした。


今回写真が一枚も無いのは、下山中に写真を撮るほどの精神的な余裕が無かったためと、夢中でゴールしバスに乗り込んだためです。
それだけ、切迫した状態でした。 

 

 

つづく

 

まだ続くか!?もういいよ、と声が聞こえてきそう・・・
自分のブログですゆえ(笑)

次回、いよいよ最終回
“家に帰るまでが登山”

富士山行記7【下山】

~~死線を超えて・・・~~

2008年8月9日 正午過ぎ 富士山頂にて

四軒ある山小屋の一つ扇屋

四軒のうち一番控えめな店構えかもしれない。
外では雷鳴が鳴り響き、安全のため店先の戸は完全に閉められている。
細長く奥まった縦長の店内には、父と息子以外は居ない。
正確には従業員さんを除いては、他の休憩客は居ない。
従業員さんらは、悪天候による客の減少の影響からか、早めの昼休憩もかねて食事noodleの準備をしていた。

雷鳴が轟くたび、「まだ近いなぁriceball」とか「今日も荒れてるねぇjapanesetea」と言った声が聞こえてくる。
山頂で働く人々にすると、こういった自然現象と真正面から向き合って生活をしているわけで、それ相応の心構えは万全なのだろう。
ど素人の我々には、危険性や状況変化の予測などはまったく見当がつかない。
そういった会話の中から、少しでも有効な情報が得られないか、やや聞き耳を立てながら、天候が落ち着くのをじっと待っていた。

しかし、良くなるどころかやや悪化する傾向にある。このままでは、郵便局には行けないかな・・・。
そのお店で買い物をすると、持ち合わせたハガキを郵便局へ届けてくれるらしい。mail
ただ、天候によって当日になるか翌日になるか確証は持てない、という。
郵便局備え付けのスタンプ印も押す事は出来ない。その代わり、その店にあるスタンプ印は押してくれるようだ。

 

天候予測のエキスパートである従業員さんへ天候のことを尋ね、郵便局へ行けるかどうか聞いたとしても、おそらく「No」の答えが返ってくるだろう。どう考えても危険な天候であることに間違いない。

自分自身へのこだわりが、それとも安全性か、安易な方法か。
こだわりに固執する自分は、どうしても自分の足で郵便局まで行きたかった。
3年前に訪れた記憶では、ココからそれほど遠くないと錯覚した記憶が残っていた。

ほどなくして、「お世話になりました」とお店の人に挨拶をし、息子と一緒に店を出た。
息子は自分のお土産を買ったが、まだ友達のお土産を買ってはいなかった。

そこで、こう提案した。

父「父ちゃんは、ちょっとそこの郵便局まで行ってハガキ出してくるから、お前は全部のお店を見に行って好きなものを選んでるか?それとも一緒に行くか?」

子「お店見にいって、決めてる。それで、ココで待ってる。」

幾ばくかの不安があったが、いざとなれば店に避難できるし、それほど遠くも無いから何とかなるだろう。

父「じゃ、ちょっと別々だ。大丈夫か?」

子「うん、わかったgood

息子は待ってましたnotesとばかりに、さっさと好きなお店に行ってしまった。念願の目的だ。そりゃはやる気持ちは抑えきれないだろう。

自分は自分で、最後の大仕事、山頂郵便局までの往復の道のりに決死の覚悟で挑む。
カミナリは遠くでゴロゴロ鳴っているし、雲も少し薄い感じもする。

なんとか天気もってくれ!(-m-)” パンパン

願いを込めて、一か八か、外輪山を進み始めた。灰色の空の下、風の音は優しいとは言えない。
立ち込める冷たい蒸気が横切るたびに、雲の真ん中に居ることに気付かせられる。
ザックは店先に残し、今までよりも身軽だ。
息を切らしながらも足早に、気持ちと共に先へ先へと向かう。

 

記憶では、その目の前の頂を越えればすぐに見えてくるはず・・・

少し回復した体力を徐々に消費し、頂上からまた小高い丘のような頂きをさらに目指す。
あそこを超えれば、あそこまで行けば・・・

が、全然見当違いだった。
開けた景色からは、さらなるアップダウンが続く登山道だった。
全くもって郵便局の建物など見えない。

アレー?おかしいなぁ・・・(・・?

どんどん焦る気持ち。薄い空気。轟く雷鳴。打ちつける雨。また霰も含んできた。
いつ落雷するか分らない恐れと不安。はっきり言って生きた心地がしない。

登山者はチラホラ居る。
みんな決死の覚悟で歩いているのか、落ちないと過信して歩いているのか定かではないが、緊張感は共有できた。

最後の丘を登り再び視界が開けた。

ほぼ平らな直線の道、そのずっと先には未だ建物の形跡は見当たらない・・・

胸のドキドキがさらに早くなる。切れる息を繰り返し補いながら、早足で進む。
せいぜい10分と思っていた距離が、すでに15分も歩いている。sandclock
ここで引き返しても息子に会えるのは15分後。息子にしてみれば30分も独りで山頂に取り残されたままだ。
また、悪い事をした。かわいそうな事をしてしまったと後悔の念に押される。
しかし、もう少し、ここまで来たのだから、きっとあと少しだ。

不安もより高まり、平らな道が終わるところに差し掛かった。
その視界の先には、5mほど下ってまた5mほど登るという窪んだ場所が広がっていた。
郵便局はその先にあった。
あぁ・・・もうちょっと距離があったか、仕方が無いココまできたのだから最後まで諦めないで突き進んでしまおう。punch

カミナリに打たれる不安よりも、息子を取り残してきた不安の方に気持ちを傾けながら、息を整え郵便局まで必死に歩いた。run

遂に郵便局まで到達できた。
おもむろに中に入り、事務的な手つきで、持参したハガキにスタンプ印を押す。
決死の覚悟で来たにもかかわらず、あまりにも事務的に押す自分の行動が少し可笑しく思えた。
しかし、ゆっくりしっかりと一つ一つ丁寧に。ずれたり霞んだりしないように。
これはもう完全に職業病だ。

「お願いします。」と窓口の局員さんへ手渡しをした。

080903_04
石積の郵便局は入り口が狭い。
中も、もちろん狭いのだが・・・。

080903_05
他の登山者も参拝している浅間大社。
こちらもやはり石積だ。屋根は風に吹き飛ばされないように石が乗せられている。

あとは無事戻れる事、無事に下山することだけだ。やっと肩の荷が下りた。
本当ならば剣ヶ峯に行きたかったが、危険性が伴うと共にこれ以上の遅延は避けるべく、さすがにそれは選択しなかった。
浅間大社で賽銭を入れ、下山の無事と家族の健康、試験の成功を祈り、もときた道を歩いた。

 

時間は1時半を回っていた。
風は横殴りで吹き付ける。雷鳴の轟きは休むことを知らない。下へ向かって稲妻が走るのも見えた。
ココで雷に打たれたらそれまでだ。神様が自分を見極めたという事と受け止めよう。
大げさに言えば、死ぬ覚悟だ。決して命を粗末にしているわけではない。
怖さもあり、後悔もあり、申し訳なさもある。
生きていることが当たり前では気づかない事が、死を意識した瞬間に気づく。
親、妻、子供、親しい友人達、多くの人に悲しい思いをさせてしまうんだろうなぁと。
はたまた、そんな事は自分の思いあがりで、悲しんでもらえる事が出来るだろうか?
自分とは周りの方々にとってどれだけの存在だったのだろうか?
やり残したこと、やり遂げたかったこと、様々な想いがこみ上げる。
堂々巡りの思考の中、結局立ち戻るのは今現在だった。
生きているのは過去でも未来でもない。今この瞬間だった。

命とは自分自身だけのものではなく、周りの人々と共存している事。
残された遺族や友人達の深い悲しみは想像以上のショックだ。
やはり「生かされている」ことを改めて実感し、粗末にせず、過信せず、大切にしていかねばならぬと、気付く瞬間でもあった。

僅か往復40分。されど40分。短いと言えば短い。長いと言えば長い。
ずっと待っていた息子にすれば恐ろしく長く、不安な時間だったことだろう。
試験時間ならばあっという間だ。
時間と言うのは、過ぎた過去の記憶でしかないのかもしれない。
その幅の感じ方は感覚であり、捉え方次第なのだろう。

 

なんとか無事に元の山頂山小屋に戻る事が出来た。

すると・・・

息子が泣きながら、おばちゃんになだめられていた。
すぐ帰ってくるはずが、なかなか帰って来ない父ちゃん、相当不安だった事だろう。
泣き声で声にならない、むせび泣く息子をギュッと抱きしめた。

嗚咽しながらやっとの事で言葉を吐き出す。

子「と・・とう・とうちゃん・・が、がっ・・かえっ・・帰って・・こ・・こないから・・crying

エ゛ッエ゛ッエ゛ッ(/_<。)

またしても申し訳ないことをさせてしまったと、心から謝る。
安易な選択から、子供にとって驚異的な不安を与えてしまう結果となってしまったことに。

よしよし、と背中をさすりなだめる事しか出来ない。
息子にとって唯一頼れる存在が、父親である自分なのだ。
息子にとって頼れる存在だったかどうか、自分では自信など無いが、それでも絶対的な存在だったのだ。
自分自身が決して独りではないと気付く。
息子とまた出会えて良かった。感動だ、心から。shinecrying
今はまだ自立の時期ではない。しっかりと受け止め守っていくのが親の役目だ。
しかし何時か自立するときが来る。
自立と自律。今日のこの経験がトラウマにならないことを祈る。

幸い、後日談としては、今では全くもって元気に普段どおり遊びまわっている。sun
このときの経験は、辛く楽しい自分の勲章話crownとして良い方向で記憶に残っているようだ。

 

突然、さらに天候が悪化した。typhoon
ザーというドシャ降りとともに雷鳴も一層大きくなった。thunder
外に居た登山者達も一斉に山小屋へ非難を始めた。自分達もすぐに最寄りの山小屋の中へ入った。
時間は午後1時40分。標高3700m地点の富士山の山頂での出来事だった。

 

山小屋の中では非難した登山者でごった返している。ぎゅうぎゅうでビショビショになったレインコートを脱いだり、休憩しながら食事している人たち。
落雷の危険から電気は一切つけていない。昼間といっても窓の少ない山小屋の中は薄暗いままだ。
数m先にいる別の登山者の顔すらよく確認できない。
店入口の引戸の硝子の向こうには、真っ白に明るいけれども透明性のない空間があるのみだ。
外からは打ち付ける雨風の音、雷の轟音が続く。

山小屋の従業員さんたちがしきりに言い続ける。
「詰めて座ってくださーい」
「カッパは脱いでくださいねー」
「携帯電話の電源はすぐ切ってくださいねー、雷落ちますよー」

こんな事は日常茶飯事だ、とも聞こえる口調で繰り返している。
なかば面倒くさそうに、母親の小言のような口調だ。
しかし逆にそういう危機感から離れた口調が、かえって非日常的な境遇の不安から開放させてくれる。

そんなに大したことではないのかな、時間が経てばすぐ収まる一過性の天候かもしれない。
焦って下山しても危険だし、ココにいれば当分安全だろうからすこしジッとしていよう。
土間の入り口ような長い座席が縦長におかれ、いくつか並んでいる。
ぎゅうぎゅうにひしめき合った人達は各々不安と安堵の繰り返しで会話をしている。

息子はまた眠っていた。どこでもすぐに眠れる状態で育ってくれて助かる。
神経質に育っていたら、今頃ここにいることが出来ただろうか?
大雑把で天真爛漫なB型に救われた。たとえ日常でやんちゃなことがあろうと、生きていく強さはこういうことをいうのかもしれない。
もって生まれる天性のものか、はたまた育つ環境のものか・・・
いずれにせよ、今はそっと寝かせてあげられる状態がとても幸せな時間だった。
自分も座った体勢のまま、息子を膝の上に乗せて少しウトウトした。

 

下山の翌日に知った事だが、当日2008年8月9日、午後1時50分頃 富士宮口で下山中の一人が落雷で命を落とした。
夏の行楽の悲惨な事故として報道された。
わざわざ危険な所や危険な事を行うべきではないと非難する声は、もちろんある。
不運な事故と言えばそれまでだが、同じ境遇に居合わせた者として、複雑な心境と共に心からご冥福を祈る。
生と死とは常に隣りあわせであり、決して遮る事も、逃れる事も出来ない。受け入れるしかない事実なのだ。
改めて命を大切にする気持ちを持つ、自分だけでなく世界の全てに対しても。

 

約一時間経った。午後2時半過ぎ。
一向に天候が回復する兆しは無い。
息子はまだ熟睡していた。少しは体力が回復できた頃だろうか?

あるツアーの案内人が「○○○の参加者は下山しまーす。準備してくださーい。」と言った。
ごった返す山小屋の中で人の移動が起きてきた。
このまま居ても同じなら、下山するしかないかな・・・。団体で降りるなら気持ちも和らぐし・・・
少し覚悟を決めていた頃だった。

さっそく友達へのお土産をそのお店で購入し、最後の目的を果たした。

いよいよ本当の正念場、下山をする時が来た。

もちろん天候が回復したわけではない。まだ引き続き、雨と雷は鳴り響いているままだ。
改めてレインコートを着込み寒さ対策も施した。
ザックを背負い、山小屋の入り口を出た途端、唖然とするような光景が目に広がった。

 

白い・・・

真っ白だ・・・

 

うっすら、と言うよりは明らかに厚く、雪のような白い地面が踏みしめられた形跡を残しつつ満遍なく広がっていた。
霰(あられ)が雹(ひょう)に変わり、降り積もったようだった。
今現在は霰も雹も降っていなく、やや大粒の雨と変わっていた。

気温は相当低い。おそらく一気に冬並みになっていたほどだろう。
悠長にプロトレックで気温を測る余裕などもなく、すぐにでも下山して暖かい環境に戻りたくなった。
トイレに寄ってから、ツアー団体の後にくっついて一緒に下って行った。
靴も軍手もびしょ濡れで、防寒の役割など当に失っている。
子供は足がかなり冷たくなってすぐに歩けなくなった。
再び、おんぶをし気力を振り絞って下山を始めた。

数分下り始めてから、ひとつ重大なことを思い出した。

頂上での記念写真を一枚もとっていない・・・

ココまで来て・・・

頭の中がグルグル回る。

戻るべきか諦めてすぐにでも下山すべきか・・・
空では雷が鳴っている、すぐにでも下山しないと危険であることには間違いない。

しかし選択したのは・・・子供を背負ったまま、また登ったのだ。

「えーい、考えてる間があるなら戻っちゃえ!こうなったら勢いだ!」

間違いだらけの選択ばかりしてきた登山
すべきではない、してはいけない選択肢ばかりを選んできた。

ココまで来ればもう一つの間違い選択くらいどうってことなくなる。
むしろ、後悔だけはしたくなかった。心に焼き付けるとともに、形に残せるものが欲しかった。
幸い下り始めてまだほんの数分だった事もあり、すぐに山頂に戻れた。
まだ残っている登山者にカメラのシャッターを頼む。
快く引き受けてくれて、決死の記念写真を撮ることに成功した。

080903_03_2
親子で登頂記念。霰が降り積もって真っ白に。

これで全ての目的は達成した。あとは無事下山をするだけだ。
下山は登りと比べ物にならないほど時間がかからない。
足腰に来る負担は別として、普通の大人で3時間程度、早い人ではその半分で下りきる。
今の時間は2時50分、遅くとも日が暮れる前には下山できそうだ。

今思えば、既にパニック状態になっていたのだ。
思わぬ自然環境の変動に対応できず、適切な判断が出来ていない。
とにかく「下山したい」と思うだけだった。そして、その先の長さに絶望もしていた。
このまま本当に下り続けられるだろうか?
不安と恐怖に追い詰められ、盲目的にひたすら歩き続ける。
子供をおぶって下る富士山の下山は想像以上にきつい。
登りで使い切った筋力が限界を超え、しんしんと力が抜けてプルプルと震える。
担ぐ手の力も寒さで感覚がほとんど無い。sweat01

080903_02
雷雲の中、積もった霰の下山道。

こういった状況からどんどんパニック状態に陥っていく。
冷静にしているつもりでも、本当に適正な判断が出来ないのだ。
下山に固執する。
安全を確保することが思いつかない。
なぜ、途中の山小屋に泊まらなかったのか?
なぜ、下山する事に固執したのか?

その理由は、翌日に予定もあったこと、何が何でも帰りたいという気持ちからだった。
遭難する理由はおそらくこういったパニック状態が重なることが原因だろうと思った。

予算的に宿泊が無理だったわけではない。
さすがに八合目の山小屋では休憩をしようと思っていた。
しかし、現実とはそううまく行かなかったのだ。宿泊準備のため、まんまと休憩を断られてしまった。

力なく、途方に暮れる・・・sweat02
風は冷たく、体温と体力を益々奪っていく。
雨も無常に打ちつけ、雷鳴もまだ鳴り響いている。風のヒュウヒュウという音が悪戯に通り過ぎる。
陽射しの下ではあれほど心地よかった風が、機嫌を損ね冷淡に攻撃をしてくるかの如く。

息子は泣きながら
「寒い・・・寒い・・・」と歯をガチガチさせている。

自分の体力も限界でこれ以上おんぶする力もない。

 

本当に、絶望だった・・・

 

息子の唇がどんどん色彩を失う。
抱きついて擦りあっても全く暖まらない。
力ない息子に、どうすることも出来ない無力さ。

気力を振り絞って、肩車をしながら一歩一歩フラフラと、ヨロヨロと下っていく。
何が何でも下るしかないんだ。自分しか居ないんだ。息子を守るのは自分しか居ない。
絶対に下ってやる!

強く思う気持ちが続くのはほんの一瞬。
すぐに身体が悲鳴をあげる・・・
とにかくゆっくりと、ゆっくりとしか下れないのだ。
数歩歩いては休み、数歩歩いては休み。
時には息子自身にも頑張って歩いてもらいながら。

徐々に少しずつ少しずつ下っていく。
息子は歩くたびに泣き出し

「もう、歩けない~・・・寒い・・・・冷たい・・・」

限界を通り越し、絶望の中、希望のかけらも感じられない。
最悪の状況を想像する。

本当に、寒さと疲労により息子が死んでしまうのではないかと思った。
今すぐでなくとも、下山後に高熱を出して意識不明になるとか、仮死状態になってしまわないだろうか?
恐怖という感情は、そうそう長く感じるものではないかもしれない。
誰しもが、一度や二度は一瞬ゾクッとか、ヒヤッしたことはあるかもしれない。
しかし、息子の死とは、今この瞬間からずっと続く恐怖だった。
そう考えた時、カミさんや他の人の悲しむ顔が浮かんできた。
そして自分自身には非難の目線が突きつけられた。
絶対にそれだけはあってはならない。
自分自身は体力こそ限界だったが、気力だけはまだ持ち続けられた。

これこそが、登りのときとはまた違う、真の愛情なんだと思った。
まさに死に物狂いだ。絶対に生きて、無事に下山しなければ・・・

思えばこの時も、また途中の山小屋に宿泊を尋ねる、という選択が思いつかないくらいパニック状態だったのだ。

現実にまだまだ道のりは遠く、時間を考えれば考えるほど途方に暮れた。
寒さも厳しく、歩かなければ凍えてしまう。
歩く体力は寒さによってむしりとられていく。
もうろうとした意識の中、ザクザクと音を立てて進むのみが今出来る唯一のことだった。

とにかく意地だ。
歯を食いしばり、力の限り歩き続ける。

080903_01_2

まだ標高は3000m超の高所。時間だけは着実に過ぎていく。気付けば16:30をまわっていた。
登山開始から16時間、ここまで絶体絶命の状態に陥るとは微塵にも思わなかった。
試練と言うには厳しすぎるくらいの大自然の仕打ちだった。
何度も何度も息子に謝り続け、「頑張ろう」と励まし続け、悔やんでも悔やみきれない状態。
涙も枯れ果てるほどの気持ちとはこのことを言うのだろう。

不安と恐怖と後悔というマイナス面を抱えたまま、まだまだ下山は続く長き道のりであった。
死線を越えて・・・帰るべき場所を目指して・・・

 

後日報道された富士山情報に

富士山初冠雪、今年は8月9日…94年ぶり最速記録更新

甲府地方気象台は27日、富士山で8月9日に観測された冠雪が今年の初冠雪だったと発表した。

観測を始めた1894年以降では最も早く、1914年に記録した8月12日を、94年ぶりに更新した。また、昨年より58日、平年と比べて53日早かった。

富士山では、山頂の1日の平均気温が年間で最も高くなった日以降、甲府市にある同気象台から初めて冠雪を目視で確認できたときを初冠雪としている。今年は7月21日の平均気温が10・6度で最も高く、今後も上回る見込みがないという。

山頂の山小屋の従業員によると、9日は山頂から8合目にかけてひょうが降り、3センチほど積もったがすぐに溶けてしまったという。

(2008年8月27日21時22分  読売新聞)

ノリに乗ってこの山行記が大げさな文章表現になっているのは重々承知だけれども、
後日報道された94年ぶりの記録更新に居合わせた偶然に、どこかドラマを感じてしまう現実だった。

本当に、二人にとっては過酷だったのだから・・・

 

 

つづく

次回、無事下山となるか?
“感じる、命の温度”

富士山行記6【達成】

~~決死の山頂、雷雲と共に~~

2008年8月9日 富士山麓 7合目付近

連なった雲の切れ間から降り注ぐ陽射しの中、体力を絞りながら一歩一歩登る親子の姿があった。

080829_01

午前零時に登山開始後、既に8時間を経過しようという頃である。
青から水色に広がる空一面には、好き勝手にちぎった様な白い雲が、自由な意思に赴くまま、目的もなく流れている。
風の力よりも、自らの意思で雲が動いているようにも感じる。
大気の強弱が肌に直接伝わってくる。澄んだ空気をめいっぱい吸い込み、胸の鼓動を一定に保つ。

ジグザグに導かれる登山道は、見上げると点々と人が連なり、ちぐはぐな装飾品のようだ。統一されていない色彩、ジリジリと動くその装飾品は、自分が登ることで徐々に短くなっていく。

スイスイ登る者、ゆっくりゆっくり登る者、途中で座って休む者。
様々な人が、ザクザクとした溶岩に足を沈めながら、一歩一歩登り続ける。

黙々と・・・

その目的はみんな同じだ。

頂上に行くこと。

必死に登り続ける。何のために登り続けるかを自分自身の中に持ちながら。
ただひたすら、登り続ける。日本人も、外国人も。

人は何のために山に登るのか?辛く、厳しく、時には危険を伴うのに。

なぜ、頂上を目指すのか?

 

その答えは、登った人だけが持っている。そして、答えはヒトツではない。

 

子「疲れたーsweat01疲れた~annoyつ゛か゛れ゛た゛~sign03

父「よしよし、よーく頑張ってるぞー、もう少し、もう少し。もうココまで来れた。」

相変わらず、「疲れた」の連発だ。しかし・・・

「もうイヤだannoy」の弱音は一度も吐いていないflair

そう、息子はまだ諦めていないのだ。
疲れた現状に不満を持ちつつも、頂上まで行く、目指す答えは失っていなかった。

前回でも述べたが、

「頂上のお土産屋でお友達にお土産を買う!」

大人からすると軽い答えかもしれない。たったそれだけのことに、と微笑ましい想いもある。
それとも相当友達想いか、単なる見栄っ張りなのか、息子本人の中にある闘志は、弱音を吐くことなく燃え続けている。

純粋だ。

080829_02
空を見上げる息子。
その心の中には一体どんな想いが込められていたのだろう?
おそらく、相当過酷な厳しい状況であるにもかかわらず、楽しさや爽快感もあったのだろうか。
富士登山により、多くの事をカラダを通じて感じているだろう。
それが無意識だとしても、深い記憶の隅だとしても、心に刻む景色になって欲しいと願う。

それと共に心の中で、息子の成長に感動を覚える。
自分も相当きつくなって来たが、連れてきて良かった。
一緒に登山できて良かったなぁ~、と思えてきた。親心と言うのは、こういうことなんだな、と改めて感じる。
自分の親もこういう感情を自分を通して感じていたかと思うと、なんとも照れくさいような、そして改めて生んでくれた事、育ててくれた事への感謝気持ちも沸いてくる。

もちろん、こういう想いは登山中にすべて感じるものではない。
振り返って思いなおすことで気付く感情や、湧き出す気持ちもある。
自分自身の精神世界を見つめなおす良い機会なのかもしれない。

 

渋々ながら、ブツブツ言いながらも八合目 胸突江戸屋に着いた。
ここは富士吉田口からの登山道との合流地点となる場所だ。
さらに人が多くなる。下山道ともやや合流する位置になり、とても賑やかな雰囲気だ。

日はだいぶ高くなってきた。時間はAM8:40。
このままだと、かなり順調なペースで頂上へ行けるかもしれない。
遅くとも11時までには登りきれるか?早めに出発した甲斐があった。

ゆっくりと休憩をし、ウィダーインゼリーなどでエネルギーをチャージする。

足の筋肉は、ほぼ限界点。疲労もピークに近い。
車で言えば、アクセルを吹かすとすぐにレッドゾーンになってしまうほど、吹け上がりが良すぎる感じだ。
要はオーバーヒート気味とでも言おうか・・・

健脚な人であれば、まだまだ余裕なトコロだろう。

しかし・・・

事務職で運動不足。

ペン以上の重たいものを持たない仕事(それはウソだが)
普段、机仕事で日々の歩数も2000歩以下。
毎日の消費カロリーが摂取カロリーを超える事もなく、内臓脂肪の蓄積に余念が無い生活を送っている我が身。
良くぞここまで頑張っていると、自画自賛の境地でどこか清々しい。

精神的にイッてくる頃なのは重々承知なのだ。

が、あえて、そういう状況を楽しむ。

 

自分独りでならば、コツコツとものすごくゆっくりながらも上を目指せる。

ところが・・・

遂に息子が根をあげた。

 

足が疲れたーsweat01もう歩けない、痛い・・・weep

 

・・・( ̄  ̄;) うーん、コマッタsweat02

どうにもこうにも、もう騙しは通用しないくらい限界が来たようだ。
無茶をして怪我でもしたら大変だ。なんとか休み休み来たが、やはり小学校1年生にはまだ無理だったか・・・。

“逃げる”というような弱音ではなかったが、限界点を自分自身で察したようだ。
悔しさもこめて、怒りも含んだ口調で

子「父ちゃん、おんぶannoy!」

 

Σ(゜皿゜) えっ?

お、おんぶですか?

出たな小僧、お得意の・・・(-_-;)

あの~、父ちゃんも相当キテルんですけど・・・
え~、ココは標高3400m超え、空気相当薄いんですけど・・・

とは言いつつも、限界点に達している息子に無理をさせても危険だ。

しかたがない、息子に無理をさせてしまっている懺悔の意味でもおんぶをしよう。

 

頑張る父ちゃんを演じるのだ。息子の要求を何の抵抗も無く受け入れるのだ。
今は突っぱねる時ではない。全てを受け入れる、受け止める、そういう時が今なのだ。
これは甘やかしではなく・・・

そう、愛情だ!shine

(π0π) ウルルルル~

限界点に達したバカ親子は、相思相愛で心の涙を流しながら登り続ける。
熱血根性マンガの一場面のように・・・

もちろんBGMはコレに限る。

♪思いこんだら 試練の道を
行くが男の ど根性
真っ赤に燃える 王者のしるし
巨人の星を つかむまで
血の汗流せ 涙をふくな
行け行け飛雄馬 どんと行け

息子よ、どうだ俺の背中はsign02

気力だけは名シーンに勝るバカ親子の心の叫びpunch

( ̄∇ ̄+) キラキラキラ~♪shine

 

体力も限界に近い山頂付近で、すでに気力のみで子供一人をおぶって登る。
19キロの体重、三本のステッキ、二人分の荷物。
一歩を出すのがこれほどしんどいとは。

数歩歩いては休み、数歩歩いては休み。

( ̄u ̄;) ハァハァゼェゼェ…

 

すぐに限界を悟る。

( ̄Д ̄;) ダメだぁ~

この状態では絶対頂上までいけない。無理だ。まだ、先は長い。

しばらくして、そんな父ちゃんの頑張りを感じたか、はたまたヨロヨロ歩行する事に不安を感じたか

「自分で歩く、まだ頑張る。」と、言い出した。

「お、おぉ・・・そうか、頑張れるかーsweat02

o(~o~;):ハァハァ・・!!

頑張りが認められたのか、見限られたのかは定かではないか、まあ結果オーライとなったflair

 

ほどなく、八合目五勺 御来光館へ到着した。
ココまで来れば、頂上まであと少し!と言いたいところだが、
その「あと少し」が、全然あと少しではない。
ジグザグに連なる登山道は10以上にも連なって折れ曲がっている。
ディズニーランドのアトラクション待ちのジグザグとは次元が違う。

とにかく一歩一歩がキツイのだ。

中にはスイスイ登る人も居るだろうが、大抵の人はキツイ登りをゆっくり登るのではないか?
ひょっとすると富士山に登ろうとする人は、普段からトレーニングをしていてスイスイ登るのが普通なのかもしれないが・・・

まあ自分の体力が無いということに尽きるのだが・・・

いよいよ残りの九合目の道のり。
まずは中間地点の目印ともいえる白い鳥居を目指す。

陽射しもさらに高く、見上げて確認をするほどになってきた。
歩く時の目線は常に真下だ。上は見ない。見てもため息が出るだけだ。
一歩一歩溶岩の砂利をザクザクと踏みしめながら登る。
背中には大きく広がる空と、雲と、大地がある。振り返れば雄大な景色を垣間見る。
結局、真下か、後ろか、上を見るだけになってくる。

ふと後ろの景色を見ると、大きな上昇気流がすごい勢いでグングン登っている。
上昇する雲を目の当たりにしたのは初めてだった。
水蒸気が上へ上へと登っていく。登るというより、むしろ吸い込まれていくようだ。
冷凍庫を開けたときの冷気が降りてくる様子を、逆再生にでもしてみると同じような光景かもしれない。高気圧と低気圧の関係か・・・
好きな科目に理科は含まれていたが、好きなだけで不勉強な自分の頭には、学術的な根拠など染み付いていない。目に見える現象がすべてだった。
あっという間に大きな入道雲になり、漏れる陽射しの量が減っていった。

ゆっくりゆっくり、結局またおんぶの繰り返しをしながら登り続けた。

 

そして・・・

遂に、息子は一歩も動けなくなった・・・

それとともに・・・

父ちゃんももうおんぶは無理だった・・・

 

二人して登山道に座り込んだ。
ふと見た時間は11時。当初登頂目標に予測した時間だった。既にその時間は周り、当てもなく休みを過ごす。
既に息子は力なく、自分に寄りかかってきた。よく見ると既に眠っていた。
考えてみればすでに11時間も歩き続けている。
普段、朝7時に起きたとするならば、もう夕方の6時だ。一日中歩いてきたのだ。限界に来て当然だった。
寝不足のまま本当に良く頑張ってくれていた。
スヤスヤと寝息を立てて眠る息子に、申し訳ない気持ちでいっぱいになったsweat02

自分の欲で息子に無理をさせている。過酷な状況に陥れた。
当初は意気揚々と楽しいことばかり考え、無茶苦茶なことにチャレンジしているという意識が無かった。
今はむしろ、必要以上の経験を自分のエゴで押し付けてしまったという後悔と詫びの念に押し寄せられた。

「ゴメンな・・・本当に良く頑張った・・・shinecrying

心から申し訳なく、心から頑張りを認めた。
そう思いながら、寄りかかった息子を抱きしめていたら、自然と涙が出てきたcrying

言葉では現しきれない、複雑な気持ちだった。

悔しさ、喜び、感謝・・・

色々な感情が入り混じって、なんだか心から泣けた。

感無量とはこういうことか・・・

幸いサングラスをしているため通行人は気づかれずに済んだ。
頂上前に休憩している親子二人の父ちゃんが、富士山で号泣しているとは誰も知る良しも無い。

ま、号泣というほど涙は出なかったのだが、心の涙は溢れ出ていたのだ。

子供はしばらく寝かせて、自分も休んでスッキリしてきた。
天候はあまり安定した傾向では無くなってきた。
雲行きが怪しくなり、頂上付近が雲に覆われてきたのだ。
息子を揺り起こし、例のごとく不機嫌さは増した。
一瞬の睡眠とはいえ、寝起きには間違いない。
おもいっきりジタバタした。

そこに、たまたま見合わせた外国人の女性が、スッと飴玉をくれようとした。
なんともやさしい心遣いだろう。
人と人との距離と言うのは、時に遠くもあり、こんなにも近くであることが出来る。
人種や国境など関係ない平和の精神は、こういう一つ一つの繋がりなのだろう。

その優しい心を、息子は見事に突っぱねて、素直に受け取らなかったのだが・・・

無理もない。寝起きのすぐさまに憤慨して怒っている時に、ブロンドヘアーの青い目をした外国人からアメを出されても、そうそうプライドが許すものではなかったかもしれない。

ありがたくその外国人の女性には気持ちだけを頂き、申し訳ない気持ちを込めて苦笑いを送った。
彼女もニコッと笑顔を返してくれた。

 

その後も少しの抵抗はあったが、また再び歩き始める事が出来た。

本当に良く頑張っている。
口では不満を言いながらも。

頂上まで本当にあと少しだ。
今まで歩いてきた時間、距離から比べるとほんの僅かだ。
あと一時間もかからずに到着できるだろう。

 

突然・・・・ゴロゴロゴロゴロ・・・・thunder

頂上の方で急に鳴り響いた。

雲も急に広がっていく。
今までの真っ白な清潔さは一切消え去り、灰色のくすんだただの水蒸気の固まり。
悪意でも持ち合わせたかのような灰色の雲が覆いかぶさる。
大きな雷鳴を轟かせながら、あっという間に霧で包み込んでくる。

頂上は既に雲の中に入ってしまった。上を見ても下を見ても今までの景色とはまるで違う。
ただ単に、水蒸気に囲まれた白い世界になったのだ。そして雨が降ってきた。
明るい視界から白い視界に変わった天候は、ほんの数分の間に起こった。

幸い既にレインコートを着込んでいたため雨には対処できた。
しかしカミナリだけは対応できない。
ポツポツと音を立てていた雨音が、いつのまにかパシパシ、カラカラと言い出した。

下を見ると白いBB弾のような丸いモノがパラパラと落ちている。

霰(あられ)だ。

急激な気温低下から雨が霰に変化したようだ。

昔、鳥山明のマンガにDr.スランプ アラレちゃんなんてのがあったなぁ。

なとど余裕の思考になれるはずもなく、あちこちで「痛いッ」と言った声も上がってくる。
気温が急に低くなってきた。山の天気と言うのは本当に変わりやすい。
ウチのカミさんの機嫌も本当に変わりやすい。
いずれも予測不能だ。いずれも、優しさもあるが厳しさも兼ね備えていると言うわけだ。
(これはフォローなのか・・・?)

ゴロゴロゴロゴロ・・・・thunderthunderthunder

雷鳴はすぐに収まりそうにもない気配だ。

しかし、どうすることも出来ない。一番上に登るのが一番安全なのだから。
山頂の山小屋ならひとまず無事を確保できる。

はやる気持ちとはうらはらに、やはり一歩一歩はゆっくりだ。
子供のペースもそうだが、自分自身が何より遅い。

 

途中、一旦雨も落ち着いた。カミナリ雲も少し隠れているようだ。

「父ちゃん、お腹すいたーriceball

11時も回り時間もお昼に近い。
頂上でゆっくり休みながら昼食をとるのが理想だ。天候も不安定でなるべく先に進みたい。

しかし、ここでもやはり無理をせず、子供の希望に沿って座っておにぎりを食べることにした。コンビニで買ったおにぎりだ。
疲れが極限に達すると食欲も無くなるが、まだ食欲があると言うことは本当に救われる。
それだけ元気があると言うことだ。

雨がパラパラ、霰がパラパラ降りしきる中、二人しておにぎりを食べた。山頂まであとわずかな位置で黙々と。

本当にウマイriceballshine

こんなにウマイおにぎりは滅多に無い。
隣には弱りきって無言になりながらも、必死におにぎりを食べている息子がいる。

また、感動して泣けてきたweep

オマエは本当に良く頑張っている。
これ以上辛い思いはさせたくないと思いながらも、現状の矛盾に侘びを入れ続ける。

天気も少し回復してきた。本当に少しだが陽射しも出たりする。

休憩も食事も済まし、いよいよ本当のクライマックスに向けて足を踏み出した。

もう、頂上までほんの数回ジグザグを繰り返すだけだ。

目で見て数えることも出来る。

傾斜も急になり、岩をよじ登るくらいの箇所もある。
息子は必死に登り続けた。もう「おんぶ」とは言わなくなっていた。
自分の足で、自分の気力で、自分自身の力で、全身全霊を込めて登っている。

「本当にゴメンな・・・本当にゴメンな・・・」
心の中で息子に謝る。何度も何度も・・・

空からはそんな気持ちは関係無いとのごとく、雷鳴と固まった雨粒が降り注ぐ。
足元にはコロコロと白い粒々が転がり落ちていく。

山頂付近は登山道も狭く、ペースもゆっくりだ。
みんな行列になって登る。

ロッキーのテーマが流れてきそうだ。

あぁ、ロッキー・・・久しぶりに見たくなってしまった。
YouTubeのすごさに時代の進化を感じるな・・・

話がずれてしまわぬうちに、元に戻そう。

 

 

本当にもう少し・・・

本当にあと少し登れば・・・

すると

 

父ちゃん、オシッコ・・・

( ̄■ ̄;)!?あん

盛り上がっていたBGMもピタッと止まる。

な、何を今更・・・

もうすぐ、目と鼻の先じゃないか・・・

 

子「父ちゃん、オシッコ・・・漏れそう」

父「イヤイヤ、ガンバレ。ココは本当に我慢だ!」

子「ええーっannoysign02

と言っても、息子も気付いている。さすがに立ちションできる状況ではないことに。

息子の足取りもさらに勢いを増す。
頂上に行きたい理由が、もう一つ増えたからだ。

 

最後の曲がり角を曲がって直線に階段状に登る。

本当の最後の道、一歩一歩。もう目と鼻の先だ。

息子はスイスイと登っていく。(事態は急を要するのか)
ここの道が辛い。いつ来ても本当に辛い。
一歩が十歩分くらいに感じる。

試練の道だ。

BGMはもちろんSurvivorのEye of the tiger

気分はもう既にロッキーだ。

打たれても打たれても立ち上がる気力。
何者にも負けない闘志。

自分自身は完全にイッてしまっている(爆)
(かなり大げさだが)

 

あちこちから、「やったー!」とか「登ったー!」という声が聞こえてくる。
自分ももうすぐそこだ。

切れる息と、吐き出す白い息、苦しい最後の石段。

頭の中は足を一歩踏み出すことだけ。

ついに、最後の石段を登りきった。

 

 

登頂達成だ・・・

やった・・・

遂に登りきった・・・

力も無く、フラフラと頂上の地を踏みしめる。

息子は既に十段以上も先に登っていた。

最後は息子の方が強かった。run

最高潮に達した気持ちは、心の叫びをあげ続ける。

やったぞぉー!punchsign03punchsign03

もちろん最後の達成のBGMはこれに尽きる。
今までの苦しみが走馬灯のように頭の中をよぎる・・・

エイドリアーン!shinecrying

もうここまで来ると、ロッキーシリーズもいい加減くどいか・・・
でもせいぜい1分30秒以降まで聞いて欲しい

 

父「やったなー!オイッbell

子「ウン、やったーsign03 頑張って登ったね。」

 

子「で、オシッコsweat01sign01

またもや、最高潮のBGMもピタッと止まる・・・。

 

父「おー、そうかそうかsweat02

テンションも高く、頭もぼんやりしながら息子を抱えてトイレに一目散。
ドリフの撤収の曲にいち早く変わってしまった感じだ。

何だコレはコントか?
息子のズボンを一気におろし、放尿の快感に臨席するpenguin

一体、どんな達成感だったのだろう?
どんな安堵感だったのだろう?
開放感もあっただろう。

すべてが、もう自分の頂点ともいえる世界になっていた。

改めて息子を抱きかかえ
「よくやったな!偉かったな!立派だ!最高だぞ!crown
と声をかけるcrying

息子も
「ウン、辛かったけど楽しかったshineものすごく疲れたけど」

さっきまで不機嫌だったのがウソみたいにキラキラshineしている。

父「辛い思いをさせて本当にゴメンな。父ちゃんが悪かった。」
結果的に登頂できたものの、罪悪感は消えそうにも無い気持ちで一杯だ。

 

子「父ちゃん全然悪くないよ。
じん君が自分で登りたいって言っただけだよ。

 

すべて救われた。息子からのこの言葉。本当にありがとうcrying
コイツは立派な息子だ。最高の俺の息子だー。

感動のBGMはしっとりとこんな曲がふさわしいかもしれない。

時には急ぎすぎて 見失う事もあるよ仕方ない
ずっと見守っているからって笑顔で
いつものように抱きしめた
あなたの笑顔に何度助けられただろう
ありがとう ありがとう Best Friend

コテコテの熱血ドラマばりの演出に浸りながら、がっちり握手で登頂を祝った。good

 

 

子「父ちゃん、お土産moneybagお土産keyどこのお店?」

父「おっ、そうかそうか、イロイロあるぞー、端からゆっくり見ていこう」

息子にとって念願の友達へのお土産調達タイムだ。clock
天候は相変わらず悪い。近くや遠くでゴロゴロ鳴っているし、雨も降ったままだ。

自分は必ず山頂の山小屋でピンバッジを買う。どの店も当日の日付を刻印してくれるのだ。
一生モノの記念として、そして過去の記録として必ず買うことにしている。
自分が死ぬまでに、一体いくつのピンバッジを集めることが出来るか。
健康であることの証と、世界が平和であることの証にもなる。
今回で4個目となった。

息子はまず自分自身にメダルを買った。5~6センチくらいの銅のメダルだ。
やはり記念に日付を刻印してくれた。さらに名前も。
誇らしげに、そして嬉しそうにそのメダルを握り締めていた。crown
初登山にして初富士山登頂。コイツにとってかけがえの無い自信となるだろう。
くじけることも知った。挫折を知るのは辛いことだ。しかし、その後にある達成という栄光も知った。

時にはわがままも出るだろう。まだ子供だから。
しかし、今日のこの日の栄光は自分自身で勝ち取った。
根性だ。何よりも自分自身に負けない気持ち。
自然環境の中で命の危険を感じながら、人間はちっぽけであり、大きくもあると。
まっすぐ正直に、素直な大人に育ってくれればそれでいい。

今この瞬間が、二人にとっての日本一の時だった。

 

最高だshine

 

友達に買うお土産を選ぼうとしたが、急にまた天候が悪化した。
店の外に出るのも危険なくらい雷鳴が鳴り響いている。
しばらく、そのメダルを買ったお店で休ませてもらうことにした。

もし天候が回復すれば、南側の郵便局、そして本当の最高峰、剣ヶ峯まで行ってみようと思っていた。このとき時間は12:30分。まるまる半日をかけて到達した念願の頂上だった。

達成感に浸り、のんびり荷物の整理をしながら、天気の機嫌が直るのを待った。山小屋の中はどこかしっとりとしていて、外とは比べもならないほどの安心感がある。
落雷の危険を避けるため、電気は一切消したままで、うすぐらい部屋の中で子供と肩を寄せ合っていた。
天候が変わりさえすれば、なんとか予定通りに下山できそうだ。

そう、変わりさえすれば・・・の話だったのだ。

そして、変わる方向は良い方向ではなかった。

 

 

つづく

次回 決死の下山
“死線を越えて・・・”

富士山行記5【登山】

2008年8月8日 深夜 須走口の休憩所ベンチにて仮眠中

ヨシズをかけた程度の簡易の屋根の下、ダイナミックに切り込んだ半分丸太の木製テーブルとその脇にある木製ベンチ
日差しの強い昼間ならば、快適であると思われる風通しの良さそうな店先の場所
何人もの登山者がそこに腰掛け、期待を胸に壮言を述べたり、また、苦難を共にした感想を述べたりと、いくつもの談話が交わされたであろうその場所。
店の明かりも消され、街灯もないその場所は、自動販売機の明かりがうっすら届く程度の暗闇に包まれていた。

そこに群馬から訪れた親子二人が寝ている。
父 31歳(会計事務所勤務)
子  6歳(小学校一年)

バカ親子二人だpig

はたから見たら荷物の積み上げのように。
はたまた得体の知れない黒い塊りが転がっているように。
何人もの通行者が疑問に思ったか?我々に気付いたのか?
それは定かではないが、そこに寝転がっている当人の頭の中には、ヒトツの疑問が生じていた。

 

このまま3時前まで居られるだろうか?

なぜなら・・・

寒い、寒すぎるのだ・・・snow

((´д`)) ぶるぶる・・・

そして寝場所が数センチしかないのだ。
ベンチの大部分は子供が陣取り、我が子の寝相の悪さをサポートするには離れるわけにいかない。ほとんど身動きの取れない状態で悶々と寝付けず、ただ時間だけが過ぎていく・・・。

当初の予定は5~6時間の仮眠を十分にとって、日の出二時間前くらいに上り始める予定だった。しかし、予想以上の気温差と人通りの雑音に悩まされながら、深い眠りに付けず、その後の予定を頭の中で練っていた。

そんな事を考えているうちに、数十分ウトウトし12時を回る手前になった。
最終のシャトルバスは22時発だから、今ポチポチ訪れる登山者はおそらく2割増しのタクシーで上って来た人たちだろう。

少しボーっとして、このまま寝られないで居るなら、ゆっくり休み休み登っても同じかもしれないな、と考えていた。

 

Σ(・o・;) ハッ!

突然、子供が起きた。

子「今、何時?」

父「真夜中の12時前だよ、目が覚めた?」

子「うん、なんかよく眠った」

父「ちょっと早いけど、もう登り始めちゃうか?また寝るか?」

子「うーん、登っちゃってもイイヨ。なんか眠くない」

 

またまた、計画変更flair

さらに寒くなってきたし、ゆっくり登り始めて眠くなったらまた途中で休もう、という結論に。

子供にもレインコートを着込ませ、寒くないように準備をした。
ヘッドライトの電池も入れなおし、真っ暗闇の登山口へ向かう準備は万全となった。

いよいよ、3年ぶりの登山が始まろうとしていた。

 

日付も変わった午前零時過ぎmoon3

不安よりも、期待と意気込みに溢れる親子2人。
イヤ、子供のほうは真っ暗で先も分らない登山道が相当恐ろしかったようだ。
そりゃそうだ、電灯一つない森の中を、自分のライト一つで登っていくのだから。

はじめの登山口からは整備された巾の広い石段を数十段登る。
そこを左に曲がって鳥居をくぐり神社が見えたら、いよいよ本格的な登山道へ入り込む。

緩やかな林間道や多少起伏のある岩石の間を階段状に上っていくコースだ。
真っ暗な中、当てになるのはヘッドライトのみ。足元を照らしながら一歩一歩確実に上る。
ゴツゴツした岩石や盛り上がった木の根が、より慎重な一歩を歩かせる。snail

前にやる気満々の息子。しんがりを守るのは父ちゃん。

 

単に置いていかれているだけの構図とも言えるsweat02

しかしゆっくりじっくりが大前提の富士登山。
息子に「急ぐな、ゆっくりゆっくりだぞ」と自分自身に言い聞かせるように言う。

 

実を言うと・・・

息子は登山経験ゼロimpact

初登山で初富士山を挑戦させた。
と、いうよりは挑戦させてしまった。単なる親のエゴともいう。無謀といえば無謀。
しかし、トライできるチャンスも一度きりだ。練習で別の山に登ってから、ある程度経験を積んでからでも良い、という考えもある。というより、それが普通だ。

だがあえて無謀な挑戦にした。むしろMove onなのだ。

失敗して当然、成功できて大したもん。挑戦できる環境こそがありがたい。
自分も、子どもの頃初登山で富士山に連れて行ってもらったら・・・

 

おそらく、相当嫌がったかもしれない(爆)

 

自分は嫌なくせに、子供には押し付けてしまったsweat01

そういう意味で、ウチの息子は立派なもんだ。
親バカながらも、見上げた根性を見せてくれた。これは誇りに思う。普段どんなにグズグズしようと、やはり子どもを見くびったり、見限ったりすることは、親として一番してはいけないことかもしれない。

その逆もしかりだ、過度な期待や希望を子どもに求めてもいけない。
ましてや自分のやりたかったことや、やれなかったことを、子供に求めてもいけない。

あくまでも、場を提供する、経験させる環境に置くことが役目であり、その選択肢は子供に帰属させるべきではないか。

今回のことも、提案こそしたが、本人(息子)が決死の覚悟で「行きたい」と言ったからこそ実現した事だった。
何も親が無理やり引っ張って行った事ではない。

ぶっちゃけ、試験前に登山練習をしたりする時間も無かったし、突然思いついたということも大いにある。
単に、カッコつけた言い訳をしたかっただけ、という事実も否めないsweat02

 

何はともあれ、息子が意気揚々とスイスイと先に登っていくdashその後ろを、息を整え整え普段の運動不足を呪いながら父ちゃんが登っていく。

何人もの登山者に先の道を譲った。譲るたびに、後方のヘッドライトの明かりがなくなり、再び孤独を感じる息子。

子「また、最後になっちゃったじゃんannoysign01」と元気いっぱいだ。

抜かされることに慣れている自分は、自分の器を知っているため焦らない。
焦って自滅するくらいなら、カメになって“お先にどうぞ”で十分なのだ。
登山は競争ではない。自分との戦いだから。

50分ほど登り、樹林帯を抜け見晴らしの良い所に出た。まだ深夜だ。視界が開けたといっても、眼下は暗い。道路の明かりや家々の明かりが点々と付いているのが見える。

風は冷たいが、上昇した体温と混ざって心地よく感じる。
そろそろ森林限界も近い。低木が並んで道もなだらかになる。
ここから六合目の山小屋まで、低木のトンネルをくぐるようになだらかに右へ左へ登り続ける。所々に視界が開ける場所がり、気分転換にもなる。

子供は低木の登山道は「怖い」と言って嫌がったり、視界が開けるたび「おぉー、高いなー」と言って元気になった。

しばらく、コツコツと低木の樹林帯を登り続け、やっと最初の山小屋に到着した。
新六合目 長田山荘 標高約2400m。
登山口から約2時間弱といったところか。

歩いているときの身体は体温が上がり暑い。
しかし、座って休んでいる途端に冷たい風により寒くなる。この温度差は日常では体験しにくい。

早速息子が「オシッコ」と言い出した。
富士山の山小屋はトイレは有料だ。排泄物の管理や輸送は相当コストが係るらしい。たしかに、環境を守るため垂れ流しにしてしまってはいけない。
商売根性というよりは、負担して当然という富士山のマナーなのだ。

一回200円dollarチーンshine

価格に多少なり唸る気持ちを持ち合わせながらも、マナーを守る意識を奮い立たせてチャリンと入れた。

お互いにスッキリして、再び登り始める。

次に向かうは本六合目 瀬戸館
ここから約一時間の道のりだ。

やはり、低木の樹林帯を抜けたり、視界が広がったりの交互の登山道。
まだまだ夜は明けない深夜2時過ぎ。途中休み休み、登り続けるが、息子からは一向に弱音が出てこない。

出発前は、おそらく2時間程度で根をあげて、グズグズしだし不平不満が出てくるのでは?と思っていた。
が、今のところ、まだスイスイと登っていくdash

父「疲れたかー?」

子「うん、でもまだ平気」

父「どうだ?登山は?富士山は高いだろー、まだまだあるぞ上が」

子「楽しい、登るのが。ホントに高いねー」

嬉しいことを言ってくれる。連れてきた甲斐があるってもんだ。

 

そんな会話をしながら、ほどなく一時間、難なく本六合目 瀬戸館に到着。
まだまだ先だと思って歩き、低木を抜けると突然、小高い石積みの丘の下に到着する。
そこが瀬戸館だ。何をもって、新と本を使い分けているか分からないが、まだ六合目だ。登り始めて約3時間経過。

疲れてはいるがまだまだ元気、気力体力共に十分ある。

少しの休憩の後、次の七合目 大陽館に向かう。当初泊まろうと予定した場所だ。ここから、約一時間。森林限界から抜けるようになり、視界もほとんどハッキリ見えるようになる。

 

真っ暗な空が藍色になり、次第に水平線からうっすらと紫色に変化を始める。
空の星がより輝くように見え、また距離も近い。night

風ともに広がる景色の広さに元気をもらいながら、ようやく七合目 大陽館に到着。
標高は約2900m。午前4時。日の出はもうそろそろだ。
山小屋周辺には宿泊客が御来光目当てに、ぞろぞろと出てくる頃だった。
風が通り抜ける場所では、じっとしていると凍えてしまいそうなほど寒い。
夜明けは気温が下がるうえに、汗をかいたTシャツがより寒さを増した。
その山小屋で二人とも用を足し、外でご来光を待った。

空と水平線の境界が徐々にオレンジ色に変わり、いよいよ日が昇る頃だ。
真上はまだ藍色、水平線に向けて徐々に薄くなる空の色。
眼下にはきめ細やかな白い雲が絨毯のように広がっている。
所々から山の頭が突き出し、すべてが平らではない雲海の一面が、より幻想的な景色へと変化させる。

080827_01

息子が
「寒い・・・・おなかがすいた・・・」
(((=_=)))ブルブルブル・・・

というので、持参したバーナーでお湯を沸かし、カップラーメンを作った。

080827_02
朝日を浴びながら、しかも富士山の御来光を浴びながらのカップラーメンはどんな味だっただろう?
近くの浄化槽からのニオイと混じって、複雑な味をかもし出していたに違いない。
とにかく、疲労で食欲がないよりはよほどマシな状態だ。
寒いとはいえ、まだまだ元気があるようだった。

須走口は東側から登るので樹林帯を抜けた六合目以上ではどこでもご来光を見れる。
ゆっくりなだらかに登るこのコースはツアーこそないが、隠れた名コースなのだ。

080827_03
お日様と同じくらいの高さか、お日様の方がまだ低い。お日様を見上げることなく見るということが、富士山の醍醐味と言えよう。頂上ならば、なお更良いのかもしれない。

高さこそ違えど、雲の上で見るご来光はどこで見ても素晴らしい。ま、いつかは頂上でご来光を見たいと思うが、それにはもっと寒さ対策が出来る装備も必要だろう。

ご来光を見るのと食事をすました結果、一時間が過ぎていた。再び登り始める頃には朝の5時をまわっていた。

息子にしてみれば、いつもならまだまだ眠っている時間。そんな時間に歩き、しかも富士山を登っている。なんと刺激的なことだったろうか。

次に目指すは本七合目 見晴館 白い鳥居が目印の風が強い印象の場所にある山小屋だ。

日も徐々に昇り始め、大気の移動を身体全体で感じる。
雲はさらに広がり、大陽へ向かって吸い込まれていくようだ。
ジクザクに登るようになる七合目以上は、溶岩をザクザクと踏みしめていく単調な道だ。

登っても登っても、景色に変化はなく、頂上が一向に近づかない。
むしろこの時点では頂上さえ見えていないのだ。
大抵の人が頂上と思っている場所は、頂上ではない。
起伏の関係で頂上はダイレクトに見えないことが多いのだ。

ポケットラジオのFMの感度もより良くなり、j-waveが気持ちよく流れている。

080827_04
黙々と登る赤いヤツ。
この時点で、まだまだ父ちゃんより元気に進んでいる。
時間もまだAM6:00前。標高はおよそ3100m。既にスタートから1000m以上も登ってきた。
明るくなって景色も開けた事から、息子もより元気になってきたようだ。
自分で登った高さを目の当たりにする、その爽快感にはまってきたらしい。

七合目から約一時間 本七合目 見晴館に到着。
やはりココでも例のごとく・・・

一回200円dollarチーンshine

しばしの休憩の後、次の八合目 江戸屋を目指す。
ここまで来ると山小屋間の時間はおおよそ一時間毎だ。

丁度良いテンポで山小屋に着くため、気分転換になりやい。
登山のペースも掴み、ほとんど単調に登り続ける作業の繰り返しだ。
まだまだ、ここは我慢のしどころだ。

 

順調に一時間後、江戸屋に到着
080827_05_2
ここは河口湖方面 富士吉田口への下山道の分岐点となっている箇所であるため、人が急に多くなる。
皇太子殿下も宿泊されたようで、その旨の看板が掲げられている。
急に賑やかになる登山道に出た事で、息子も少しビビって来たようだ。

そして、ついに問題発生bombimpact

急に息子の機嫌が悪くなったsweat02

何かと尋ねると・・・

子「ここが頂上だと思ったんだよーannoysign03お土産屋じゃないじゃんかsign04sign02

父「あぁ~、なんだ勘違いしてたのかぁ。良くある事だ、気にするな。」

子「う゛~う゛~、い゛や゛だ~down疲れたーannoy

父「さすがにココまでくれば、普通に疲れて当たり前だ。疲れない方がおかしいよ。少しゆっくり休んでから行こう。」

 

すねた息子には普段から慣れている。ただ、状況が状況なだけに、本人も普段以上にすねない。本人が一番頂上へ行きたいし、むしろ進むしかない事は分っているのだ。
きっと自分自身と戦っていたのに違いない。

何より「頂上のお土産屋でお友達にお土産を買うんだ!」と言うのが彼の支えになっている。

分りきった問題が発生しただけの事だった。
ココからが自分にとっても、息子にとっても徐々に正念場。クライマックスに近づいている状態だった。

多少、ブツブツ文句を言うのが増えてきただけだ。

( ̄s ̄; ブツブツブツ・・・

 

まだ天候も良く、気温もやっと上がってきた。
すでに3分の2以上もクリアし残すところはあと少しだ。

次に目指すは・・・

本八合目 胸突江戸屋 富士吉田口の登山道との合流点
八合目五勺 御来光館 頂上までの最後の山小屋

日差しも刺すように強く、日焼け止めの準備に余念は無い。まだ、天候不順になる兆しもなく、カラッと晴れ澄んだ空気を吸い込みながら、その薄さを徐々にかみ締める。
今のところ高山病は自分も子供もその症状は出ていない。
ココからが本当の正念場。今まで温存していた体力を一気に振り絞って頂上まで登りぬく!
標高約3200m地点、時間はAM7:30。残すところ500mの標高差。

 

本当の正念場は下山なのだが、それはまだ後の話に残しておく。

 

つづく

 

次回、ついに登頂まで達成 山頂編
決死の山頂、雷雲と共に

お楽しみに

富士山行記4【移動】

2008年8月8日(金) 昼下がりの午後

意気揚々と車を走りだす。

まずは、食料品の調達だ。飲料、お茶、カップラーメン、etc・・・。
涼しいというより寒い山頂付近や日の出前には暖かいカップラーメンは最高にうまい。
その他に、ウィダーインゼリー、チョコ、飴。
小粒ですぐにエネルギーとなるような非常食も兼ねたお菓子を買った。
それと道のりの途中で食べる遠足用のお菓子など。

お出かけ前のお菓子調達は、大人といえどやはりワクワクする。

と、言ってもたいした物は買わないのだが・・・

 

北京オリンピックが開幕した8月8日は、ものすごく日差しが強く、気温も高いとても暑い日だった。

買い物を終えて時計を見ると午後3時。ようやく富士山への道のりへ進みだした。

本来の道のりは、高崎ICから関越自動車道に乗り、鶴ヶ島JCTで圏央道へ。
そして中央道へ開通した八王子JCTを通って中央道へ。
中央道から大月JCTで富士五湖道路方面へ。
渋滞を加味しなければおよそ2時間半くらいで着くだろう。

ちと、早すぎるな・・・

と思い、余裕を感じたこともあり、ゆっくり行こうと下道でしばらく進む事を決意。
とりあえず、闇雲に見当外れに下道を行くのは時間的にもったいない為、高速道路の側道をを進んでいく事にした。

カーナビ不在の我が車は時代遅れのロードマップを片手に運転。
自分で言うのもなんだが、方向感覚は悪くない。
一度通った道は大抵覚えられるので、迷子になったり現在地を見失う事はほとんどない。
一度も通った事ない道は、むしろ未開の地として好奇心に溢れワクワクする。
時間に余裕があるときの、一つのお遊び的なドライブだ。

数年以上も古い地図を片手にのんびり運転するのは、なかなか悪いものではない。むしろ通った事の無い道を開拓しながら進むのは刺激的だ。
そんな過信から、欲しいと思いながらも、必要性に乏しいカーナビの購入予算は、毎年の受講料の陰に隠れ削減され続けている。

ただ、唯一・・・・距離と時間が全然読めない。

そして、起伏がサッパリ分らない。

 

そうこうしている間に、やはり山あいに入り込んだ。
本庄ICを過ぎ、寄居SA付近には流石にくじけそうになった。
雑木林を通り抜ける道は、すれ違うことは皆無なほど狭いうえに、不法投棄された粗大ゴミから善意を欠いた人の存在とあわせて、その寂しい空間に悲しさを覚える。

普段なら通るはずも無い道から、普段とは別世界の風景が目に入る。
旅の醍醐味とは、こういうことかもしれない。
目的地に到着する事だけが旅ではなく、移動の過程も旅そのものだ。

高速なら20分ともかからない区間を40分以上も掛けてゆっくり進んでいる。

やはり、時は金なり・・・か。

ま、焦ってもしょうがない、子供も午前中の遠足が疲れたようで後部座席で昼寝をしている。
カーラジオはFM群馬。ローカルな番組を聴きながらのんびり進む。

日はまだ高く、気分は上々だ。
早退した職場では、まだみんな働いている時間だ。
少しの気後れと、多くの開放感で試験後2日とは思えないほどの精力的な行動を楽しんでいる。

 

花園ICを過ぎた。

移動した距離にして、かかった時間が全くアンバランスだ。
おまけに、前にはさらにゆっくり走るトラックが。

しばらく、そのゆっくり走るトラックの後ろを走る。

 

・・・( ̄  ̄;) うーん

遅い・・・

しかし遅い、遅すぎる・・・sweat02

時速40キロだsnail

それほど気が短いほどではないのだが、さすがにカリカリ気味だ。
時間も出発後2時間近く経過してきた。

さすがに・・・

もう、下道は飽きてきた(◎-◎)

 

あっさり最寄りの嵐山小川ICから関越自動車道に乗った。
どうやらまだ比較的新しいICらしい。

本来なら高崎ICから高速で30分程度の場所だった・・・。

のんびり・・・と、が、2時間・・・

4倍も時間掛けて・・・

無駄?(・Д・) 

イヤ、贅沢な時間の使い方、としておこう・・・

そうでもないと、単なるバカだ。
イヤ、すでにバカだ。“単なる”でもなんでもない。
いいのだ、楽観的O型だ。

今まで知らない、通ったことの無い道を通れた。

FMから浅間山の噴火活動の警戒レベルが上がったと報道された。
バカと自然脅威の現実の距離は、ありえないくらいかけ離れているのだ。

 

高速に乗ってからは、快調に関越道~圏央道~中央道と進んだ。
夕暮れはもう少し先だ。談合坂SAで少し早めの夕食を食べる事にした。
大きいSAなだけに、さすがに人が多い。平日なのに。

ラーメンバカのバカ親子は、やはりラーメンを注文。SAのラーメンは結構侮れない。
突出した美味さはなくとも、万人受けする味の安定さが、何よりもの魅力。
不機嫌そうなアルバイトのお姉ちゃんが、せっせと出来上がりの呼び出しをしている。

談合坂ラーメン なるものを注文した。ピリ辛味噌ベースのラーメン。
ネーミングと内容の関連性に疑問を抱くわけでもなく、ご当地ラーメンというキャッチにあえて乗るという選択。

その選択には、嗜好性ではなく娯楽性を含んだ思惑が大きい。

味の方は・・・ピリ辛味噌ベースの味。
作って頂いた方への感謝の気持ちを込めて、美味しく頂いた、という事に尽きる。
ご馳走様、とは大切な挨拶であると改めて気付く。

ウマイマズイは個人の主観なのだから。

 

お腹を満たし、休憩もすんだ。そろそろ夕暮れも近づく頃だ。
080825
富士吉田ICから富士五湖道路方面に入った直後、車内から子供が取った富士山
道の真正面に霞が係った雄大な富士山
あそこの頂上まで登るという実感が、いよいよ強くなる。

そのまま須走ICまで走り、最寄りのローソンで最後の食料調達。
オニギリを買った。

ふじあざみラインマイカー規制のため、シャトルバスに乗り換える。
オニギリを調達したローソンからすぐ近くの仮説駐車場から出発する。

大人往復1500円
子供往復750円

まあ、それなりの値段だろう。
19:30発のバスに間に合った。
道具の準備や着替えを済ませて、バスに乗り込んだ。

周りは日が暮れてすっかり暗闇だ。
すれ違う車もほとんどない。
規制もされているからなおさら少ないはずだろう。

ぐるぐると右へ左へのカーブが続く山道を延々と上る。
標高も1900mのところまで一気に上る。
おおよそ30分強の道のり。
5合目の駐車場に到着。

空気の鮮度と温度が下界とまるで違う。

子供は張り切って、先を急ぐように進みだしていく。
未知の登山のワクワク度は想像以上の楽しみなのだろう。

足よりも気持ちの方が先に進んでしまっているようだ。

須走口の五合目には2件の山小屋、休憩するお土産屋がある。
その軒先から歩道を挟んで、むかいに木製のベンチが並んでいる。
登山をする前の客、登山を終えた客、それぞれが準備や休憩のため座って賑やかだ。

富士山は五合目に到着してから、準備運動して、さぁ登山!

という事を、決してしてはいけない。そんな事をすると高山病へまっしぐら。
低めの須走口といえど、少しは身体を高所に慣らしてから行くのが、成功へのポイントだろう。
とにかく、あせらずゆっくりじっくりと、コレが鉄則だ。

とは言うものの、今回の我が家は、あせらずゆっくりじっくり、という次元ではなく、そこのベンチで野宿をしようと目論んでいる阿呆だ。
成功へのポイントを通り越して、一つ間違えば失敗すらない、棄権ともなりうる選択をしてしまった。

ま、済んでしまった事なので今更、深き考察は省略してしまおう。

とにかく、シュラフを広げ、子供をその中に入れ、自分はレインコートなどを着込み横になった。
持って行ったポケットラジオでFMを流しながら時間が過ぎるのを待った。
すぐ向かいの歩道では、多くの人が意気揚々と賑やかに登山口へと向かっていく。

目をつぶってウトウトしてくる頃に、突然ハイテンションのノリの若者がゲラゲラ笑いながら通り過ぎる。

気持ちは分るが・・・

まぁいい。こんな所で寝る方も寝る方なのだ。

むしろ、すこし恥ずかしい・・・気もした。

 

そんなこんなで、なかなか寝付けない。
10時を過ぎる頃、子供はスヤスヤと寝入っていた。

しかし、標高2000m近くは涼しい。
というより、肌寒い。イヤ、むしろ寒い。

おもむろに時計の気温を確認する。
カシオのプロトレックだ。
どれくらいの誤差があるか分らないが、自分の肌で誤認識しないようにベンチの上にしばらく置いておいた状態だ。

17.6℃・・・

(-_-;ウーン、益々寒気が増した。

子供はシュラフで暖かいが、自分はそこそこ厚着した程度でレインコートのみだ。
まあ、自分で選択したことだ、今更ボヤキもでない。

ただ、少し後悔した・・・。

そして、二度目はないと決心した・・・。

ほんの半日前は仕事をしていた平日の金曜日。
暑い昼間から、寒い夜中まで長距離を移動してきた一日だった。

 

しかしまぁ、山行記も4になっているのに、なかなか登山まで進まない。

そう、それだけ富士山への道のりは、険しく遠いのだ・・・

 

次回、いよいよ登山開始。

つづく

富士山行記3【出発】

2008年8月8日(金) 今日は午前中のみの出勤予定(あくまでも自分だけの思惑)

朝、ブログの更新をする。
試験後の片付けやら整理やらもろもろの私事をこなし、普通に会社に出勤。

出社後、おもむろに早退届を出す。仕事がそれなりにあるにもかかわらず、“私用のため”の理由で休みをゲット。

ま、時間が有ろうと無かろうと、結局自分の仕事は自分でするのだ。
すべてはやりくりの問題。

午前中は決算の打合せのため、顧問先へお邪魔する。ウチの所長と会社の社長のやり取りを横で聞くのが、今のところの自分の仕事だ。いつかは自分がこういったやり取りを直にすることになる。ただ聞くということだけでも、良い経験だ。この場に参加させてもらえるだけでも、ありがたいことと感謝できるというものだ。

事務所へ戻る途中、郵便局で「かもめーる」を買った。山頂にある郵便局から、残暑見舞いを出すためだ。

両親、妻子、友人、お世話になった方々への感謝の気持ちを綴る。こういった特別なことでもない限り、改めて書状を送るのは気恥ずかしい。
何よりも、頂上へ登りきる決意をより強くするという目的もあるし、その達成を人に伝える手段としても最高だ。

候補の方々の宛名を書き、今回は登る前に文面を書いて行った。登頂後に山頂で書くのは疲労により手先が思うように動かず、平らな場所も少ない上に所在時間も限られるためだ。

また、子供も友達、学校の先生に出したいというので用意し、文面を書かせた。

なぜにここまで山頂郵便局にこだわるのか?それは、山頂郵便局限定の消印とスタンプ印があるからだ。
登頂記念としての日付入りの限定消印。
長年登頂者により押され続けられるスタンプ印。

どれも、自分が頂上まで行けたからこそ押すことができる最高の軌跡。
達成感とともに、送られる登頂報告と感謝の文。

もらった方は、単にはた迷惑かもしれないが、自分としては粋な心意気なのだ。
頂上へ行って出すことに意義がある。

単なるコダワリなだけかもしれないが・・・。

 

自宅用に送ったハガキ。
これが山頂局の消印。
080821_01_2
富士山頂局と消印の日付がしっかりと押される。
石積の壁で出来ている郵便局だ。
いい加減な薄い印ではなく、心を込めて局員の方が押してくれているらしい。

080821_02_2
郵便局に設置されているスタンプ印。
文面は恥ずかしいので、モザイク失礼。

他にも何種類かのスタンプ印が設置されているが、これが一番しっくりくる。

なにせ

日本一高い 富士fuji山頂局postoffice

本当に、日本一だshine
そこに自分が到達できた記念となる。

単に “なんとかとケムリは高いところが好き”なだけか・・・

 

実は、山頂は外輪山となっていて、河口湖方面からの富士吉田口と、東側の須走口は頂上に到達した時点で郵便局には行けない。
そこから、またしばらく歩いて外輪山を半分ほど歩かなければならない。

多少の登り下りをするうえに、疲労も伴うし、空気も薄いので結構ツライ。
最高峰の剣ヶ峯はその郵便局からもう少し奥に行ったところだ。

この消印とスタンプ印を押したいがために、ハガキを送りたいがために、命を掛けた数十分となり、過酷な下山を強いられる事になるとは、勿論知る良しも無い出発前のひと時だった。

ハガキを一通り書き終え、荷物の積み込みを済ませ、忘れ物の確認をし、出発した。

 

つづく

富士山行記2【準備】

2008年8月7日(木) 通常の会社の出勤日

会社の昼休みに山小屋へ(今更)予約の電話を入れてみる。

「あの~、今度の土曜日、9日なんですけど、予約は出来ますか?」
典型的なO型思考な自分は、最悪パターンより、自分に都合の良い状況を優先するため、断られるという状況も予測せず、楽観的に聞く。

山小屋「・・・・。ど、土曜日ですか?もう既に予約がいっぱいで全てお断りしています。」
“今更予約か?”とでも漏れてきそうな口調の裏には、同様の電話の問い合わせに何度も同じような事を繰り返し答えているという、明らかに疲れと面倒さが現れていた。

┌|゜□゜;|┐ガーン!!

ヤバイぞ・・・予定が狂った・・・!

子供を連れて行くということは無理は出来ないしな・・・

「そうすると、やっぱり当日に立ち寄っても受入れが拒否されてしまう状況ですかね?」
可能な限り、見込みを捨てない楽観的O型。

山小屋「そうですねぇ・・・、既に廊下まで布団を敷いて対応している状況で満員でして。無理ですね」

もう一軒別の山小屋にも電話してみたが、同様の返答だった。

(・Θ・;)アセアセ…

山小屋の宿泊は、完全にシャットアウトされた・・・

  

9日の午前中に出発し、午後から登り7合目あたりで宿泊し、翌日の早朝に山頂を目指して昼下がりには下山して帰宅。
そんなプランは一気に崩れてしまった・・・

 

さて、どうする?
このままでは、土曜に出発して日曜日に登山してそのまま帰宅という、もっとも厳しい日程になってしまう。
次の日、まともに仕事をすることができるだろうか?

flairflairflairsign03

よし、金曜日(8日)の午後、半休をもらって出発し、土曜日(9日)に日帰り登山をしよう。5合目の駐車場で仮眠をして、早朝からゆっくり登ればなんとかなるだろう。

突如のプラン変更。一応、須走口周辺の情報をネットで検索してみる。

すると・・・

ふじあざみライン マイカー規制のお知らせ

ぬ?・・・・・Σ( ̄Д ̄;)

い、いつの間にこんな規制が?

以前登ったのは平成17年が最後。この規制が始まったのが去年(平成19年)とのこと。

そりゃ、知らないわけだ・・・

規制はちょうど8日午前0時から。今回の車で行く時間にピッタンコ引っかかる。
平日なら規制は無いが、混雑する土日、お盆に掛けて規制されるようだ。

・・・( ̄  ̄;) うーん、まいった。

これでは駐車場で仮眠すら出来なくなってしまった。

どうする?

flairsign01

そうか、お土産屋の周辺にどこか横になれるトコくらいあるだろう。

シュラフ持参して仮野宿moon3だな。

ほとんど無謀に近い、楽観的O型の発想はココまで暴走する
とにかく臨機応変に、それ相応の準備しておけばなんとかなる、と。

過去の経験があるからこその過信とも言うべき過ちは、山小屋の予約が出来ないところから、少しずつ歪として現れていった。

土曜日(9日)の夕方前には下山出来るだろうから、夜は西湖のほとりでキャンプでもして、体を休めて帰ろう。テントを積んでいけば、なんとかなるな。

帰りの準備もバッチリ練って、午後の仕事に取り掛かった。

 

仕事が終わって、子供と一緒にアウトドア店に立ち寄る。最後の持ち物チェックと不足しているモノの調達だ。
ガスバーナーのガスボンベ、食べる酸素、軍手、ザックカバーetc・・・

小物とはいえ侮れない

いよいよ明日は出発日だ。忘れ物のないように、前日に荷物の準備に取り掛かる。
富士山といえど軽装では危険だし、いざと言うときのための装備はどんな登山でも備えておくべきだ。

以下持って行った道具類
・ザック
・レインコート
・靴
・帽子
・帽子止め
・サングラス
・水
・ガスバーナー&ボンベ
・クッカー
・ステッキ
・タオル
・フリース
・着替
・酸素
・軍手
・日焼け止め
・バンドエイド
・非常用御菓子
・高度計
・紐
・シュラフ

・キャンプ用のテント

食料品は当日調達するとして、すべての準備を終え、いよいよ明日に出発を控え、ハリーポッター死の秘宝を読みながら、床についた。
税理士試験の翌日(7日)のことだった。

まだ、期待に満ちた幸福な時間が過ぎていた頃だった。

 

つづく

富士山行記1【決意】

思いついたが一週間前

いつ、の一週間前だ?

試験日(2008年8月6日)のだ

2008年7月30日(水)に、なんとなく富士山に登ろうと思いついた

と、いうのも前々から子供には「富士山に行ってみたい」と言われていた
だから、いつかは行こう、また登ろうと思っていた

 

今年は子供が小学校に入り、何かと忙しくなった

自分も保育園の保護者関連の会の会長になって
やっぱり何かと忙しい毎日を過ごした

仕事、勉強を中心に家族と過ごす日々が続く
のほほんと登山に出かけるほど、時間を持ち合わせていない

今年は、まだ一度も山に登っていない

というより、ここ数年、まともに日帰り登山すらしていない

最後に登ったのはいつだ?

パソコンにしまってあるデジカメの写真フォルダを開いた
2005年8月13日 富士山

もうかれこれ、3年も山に登っていなかった
しかも、最後の登山は富士山だった

体力も落ちているし、腹の肉も以前に比べ大勢に増えている

 

2008.7.30(水)に登ろうと思いついたわけだか、
そのきっかけは二日前に遡る

通常平日は顧問先に外出をしているときを除き
事務所では昼食はTVを見ながら配達弁当を食べる

2008.7.28(月)
NHKのお昼のニュースを見ながら昼食を食べていた
20分過ぎになると、いつものデパペペの曲が流れてきた

そう、
「それぞれの“ふるさと”に、それぞれの“一番”がある。」

生中継 ふるさと一番! の時間だ

2008.7.28(月)のこの日の放送は偶然にも
富士山頂 日本“最高”の研究所』だった

旅人:河相我聞による山頂からの生中継
息をゼイゼイ言いながら中継する剣が峰の様子をみて
なんとも懐かしさを覚えた

自分も3年前はあそこに登った
本当に息が切れる
空気が薄いとは、そういうことか
決して息苦しいわけではない
すぐに、心臓がドキドキして、ゼイゼイ言う

でも、あの達成感はやっぱり日本一だ

どうやら二日続けて中継するらしい
翌日の2008.7.29(火)の放送も見ることが出来た
霊峰に祈り満ちて

富士山本宮浅間大社奥宮の内部や山頂郵便局などを放映した

この日も天気が良く、やはり景色は素晴らしかった
登山客にも声をかけ、家族連れで子供も登っている姿もあった

 

全てはこの放送に偶然出会ってしまった事
これが、無謀な富士登山へのきっかけだった

安易な思いつきで、翌日には登山計画を練ることになっていた

そう、試験勉強も、ほぼ、そっちのけで

イヤイヤ、やる事をキチンとした上で

8:2か、はたまた7:3くらいの割合で
頭の中は試験と富士山の情報を整理するようになった

そもそも、普段から注意力散漫で集中力に欠ける
好奇心の風向き次第でのめりこみやすい性質は自分が良く知っている

風の向くまま、やりたいように考えた

 

今回は子供も一緒だ
だから、日帰り登山ではなくちゃんと山小屋に泊まろう
しかし、日程をいつにするか?
土日にするかお盆にするか
天候は大丈夫か?
予約は早めにするか?

山小屋に8月9日(土)に泊まろう
登山口を調べる

富士吉田口、富士宮口、須走口、御殿場口

御殿場口は論外だ(自分には無理だ)
富士宮口は遠い・・・
富士吉田口は定番すぎるし、混雑しそうだ

やはり、どうしても慣れている須走口を選んでしまう
7合目の大陽館に決めた

普通なら「太陽」と点が入るタイヨウを使うところを
ココの主人は『テンでダメな山小屋にはしたくない』との心意気で
あえて点のない「大陽」を使っている

そういう心意気が大好きだ

しかし、天候が分らないため予約は先延ばしにした
仮に予約をしなくても、当日受入れ拒否という事はないだろう
と、高をくくっていた

これが全てにおいて間違いの原因だった
それに気付くのは、まだ先の事なのだが・・・

試験一週間前、とりあえず、日程と予定を大雑把に決め
登るぞ、と決意をした日だった

 

つづく

プロフィール

  • ブログ訪問して頂き
    ありがとうございます

    上州風っ子じんです 詳細

...link


Powered by Six Apart
Member since 12/2005