もっと時間があったなら!
2009年5月5日(火) GWも後半の時のこと
子供の野球の練習日 グラウンドまで送って行った
その足で市立図書館へ向かった
マインドマップの本を探していたら偶然出会ったこの本
「もっと時間があったなら」シュテファン・クライン
偶然に、本当にふとしたことで目に入って手に取った本
実に衝撃的な出会いだった
『時間』に対する考え方、感じ方が変わった
このタイトルを読んでどんな印象を受けるだろうか?
『忙しくて時間がない・足りない』
『楽しい時間はあっという間に過ぎる』
『退屈な時間はなかなか過ぎない』
『暇が無い』
『時間を無駄にした』
『時間が余った』
時間というものに対して色々思い浮かぶことは多々ある
時計が示す時間は誰にとっても一定なのに、なぜ人間はこうも感じ方が違うのか?
ドイツの科学ジャーナリストである著者は色々な角度で時間の捉え方を説明している
今まで疑問に感じていたことがクリアになったようだった
そもそも時間とは?という概念にまで掘り下げることも出来うる
物理的な時間は私たちが経験する時間のごく一部に過ぎない。時計の針は現在しか示さない。過去や未来をとらえることはできないのだ。だが、人間は思い出のなかにも生きている。思い出とは、いわば記憶の中で凝固した時間ともいえる。過ぎた時間はどうして思い出になるのだろうか?なぜ、心のなかで過去へ旅することができるのだろう?
特に衝撃を受けたのが
『時計の針は現在しか示さない』 ということ
そもそも、現在とは?
時間と空間の関係など、難しい内容を難しくなく説明している
空間は前後、上下、左右の三次元 人間はその空間の中を好きなように移動できる
(自力で飛ぶのは難しいが)
時間は現在、過去、未来 それは自由にならない
時間と空間の大きな違い
時空を超えた、というような表現の深さを改めて感じる
この本にはヒトツの結論というのは無い
色々な角度で時間というものを、どうとらえるか、である
・時間の意識の仕方
・注意深く時間を過ごすための方法
その2点に焦点をあてている
よくある時間管理術のようなハウツー本ではない
スケジュールがうまくこなせるとか、上手な予定のやりくりと言った類いの話ではない
読んだ感想としては、考え方なのだな、と思えた
時間というものの認識を自分の外部に置いていたのでは、いくら『ある』ものでも『ない』ということ
一日48時間になったとしても、いくら増えても、とらえかたを変えない限りいつまでも「足りない」と思い続けるだろう
普段忙しいと「もっと時間があったら」と日々思うにもかかわらず、
憂鬱な時間を過ごしたり、ボーっと何もしない一日を過ごしたりすると
『時間を無駄にした』と後悔することがある人は少なからず居るだろう
一体何をやっていたのか?と記憶すらない、思い出せない時間を過ごしたこともあるはず
自分の内部に時間をとらえる、意識する、感じることが必要ということ
最近の脳科学の進歩による説明でさらに納得させられる
時間は「つかう」ことができるのに「ためる」ことができない
時間には秒、分、時、日、月、年という物理的な単位以外にも
ある ←→ ない
長い ←→ 短い
早い ←→ 晩い
速い ←→ 遅い
余る ←→ 足りない
多い ←→ 少ない
得る ←→ 失う
かける ←→ 省く
などなど、いろいろな表現がある
そうすると、なんとなく物質的な存在を感じるが、そもそも時間という物質は存在するのか?
質量があるのかないのか?
まだ未知の領域のようだ
重い ←→ 軽い
というのはあまり使われない、とすると
やはり、脳の感じ方という感覚の部分になるのだと思える
そもそも人間には、五感(見る、聞く、かぐ、味わう、触れる)のセンサーはあるが
時間を感じるセンサーは無い、計測できない、という
体内時計はあるが、それは時計が示すものとはズレている
時間の経過をとらえているようでも、それは記憶や運動の結果としての情報でしかなく、正確な時間というのを人間は計測できない
ナルホド
時計を見ずに、今何時何分か?という問いにいつでも答えられる人間はいないのは大いに納得だ
この本に答えは無い
多くのヒントが載っているだけだと思う
読む人がそれぞれの解釈で時間をとらえ、活用していくだけのことだ
物理的な時間は誰にとっても平等にあるのだから
生活環境や社会や文化の違いで、いくらでも増えたり減ったりする
自分自身の時間のリズムを、もっと注意深くとらえていこうと思う
そして、今まで失われていた時間を少しでも取り戻せれば幸いだ
著者の最後のページに書かれている文章がとても印象に残る
なぜなら、人生は時間でできているのだから。
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