努力
孔子の言葉 「論語」より
子曰く、人能(よ)く道を弘(ひろ)む。道、人を弘むるに非(あら)ず。
訳:先生が言われた、「人間こそ道を広めることができるのだ。道が人間を広めるのではない。」
子曰、人能弘道、非道弘人也、
アントニオ猪木の名ゼリフ 『踏み出せばその一歩が道となる~・・』
と、似たような意味合いでしょうが、いずれにしても
目的や必要性などに対する真理をついている文章ですね。
自分なりの読み取りですが、
人=人間、己、民など
弘む=進む、広がる、成長する
“道”というものの解釈をどのように捉えるかでニュアンスは変わりますが
広く解釈して“成果”や“結果”とするならば、
そこに辿り着くまでは、すべて自分自身から生み出されるものだ、ってことかもしれない
プラスの道もあればマイナスの道もあるわけですが
もともとがプラスだったわけでは無いし
もともとがマイナスだったわけでも無い
こんなはずじゃなかった、は、時として外的要因、外的環境のせいにし、自分のことを棚にあげることは
多からずとも少ないことではないでしょう。
やはり、偶然にして必然ということなのかもしれないですね。
『才能』や『資質』『生い立ち』を“道”と捉えることも出来る。
そこに比較や差別というのは、本当は無いのでしょうね。
頭の良い人やお金持ちの人を羨むのは別のこと。
はたまた、
“道”を高速道路に例えるなら、その道があるから車が通るのではなく、必要だから人が造るわけですね
(ムダかどうかは別として)
すべての道は人がその必要を感じ、そこを通ることで自然に道が出来る。
道路も法律も社会が必要として、そして受け入れられて社会制度として存在する、と
結局何が言いたいのかと言うと、
日々の努力の賜物 に尽きるのかなぁ、と言うこと
おごらず、あせらず、たゆまず、おこたらず
驕り 焦り 弛み 怠り 良くないものとされつつも、人間誰しも兼ね備えているモノ
それを忌み嫌うものとせず、むしろ受け入れる方が気楽
完璧な人間などいないからこそ、自分を磨く努力をする。
難しく考えるとキリが無いですが、
シンプルに考えても努力する事に関して『なるほどなぁ』と受け入れられる言葉じゃないかな、と思いました。
希望や可能性 という無限大のもの
そういう印象の言葉として、手帳に書き綴っておくことにします。
深いなぁ・・・難しいなぁ・・・
でも、なんとなくわかる気がする
じんさんって、哲学的ですね
わたしは、いつも直感的で
あんまり、深く考えないタイプなんだけど
なんとなく、わかります、じんさんの感じ方。
人間努力するのは、努力することが必要なのは
やっぱり、完全じゃないからなんですよね
いきなり完全完璧を求めて
そうできないからって落ち込んだり
誰かを羨んだりするのは違いますね。
投稿: ほうちゃん | 2008年12月 4日 (木) 17時52分
>ほうちゃん
いつもコメントありがとうございます
そんなに哲学的ですかねぇ?
自分的にはぼーっと考えて考えて考えているだけで
単にグルグル思考が回っているだけかもしれないです
空想と妄想は得意なので(笑)
ほうちゃんってそんなに直感的な印象が無いですね、なぜか
慎重派のようなイメージです、今のところ
自分の道ってのをゆっくりと形成していきたいところですね
投稿: じん | 2008年12月 5日 (金) 19時51分
努力ってちょっと前までは、『忍耐』とか『険しい』とか辛い言葉を連想して嫌だったけど、ここ最近は『希望、夢の実現』とか『新しい自分』とか、前向きな言葉が連想できるようになったジョ。
じんさんが哲学的でほうちゃんが直感的。私はどっちでもないなぁ。
一言でいうなら『自由きまま的』?かな~♪。ん?わがままか?(汗)
投稿: じゅん | 2008年12月 6日 (土) 10時41分
じんさん、こんばんは
道の教えに、ふと自分の道はどうなのだろう考えてしまいました。
道の無いところ道を造って歩む人、先人が歩んだ道に続く人、まだ自分の道が見つからない人と抽象的では有るけれど、何故か説得力がある例えです。
ただ自分自身で歩き始めなければ道は開かれない。
そう考えると税理士試験の受験生は、みんな一歩目を踏み出した人なのですね。
だから、私はこの試験の受験生が好きなのかも(^^)
PS:遅ればせながらリンクを貼らして貰って良いでしょうか?
投稿: プリメロ | 2008年12月 8日 (月) 20時21分
>じゅんちゃん
確かに「努力と忍耐」ってセットな感じがするよね
「努力と幸福」とか「努力と希望」が当たり前のセット言葉になってたらいいのにね
自由でいられるのはいい事だ
勝手気ままとかわがままとはまったく別のことだと思うよ
それぞれの道を見つけてイキマショ
投稿: じん | 2008年12月 9日 (火) 12時46分
>プリメロさん
こんにちは
道って様々ですよね
一歩だすのは前を見てるわけだけど
足元が現在で、過去が道となって
もののけのシシ神様が歩くたびに樹木が生きる感じが、なんとなく分かる感じもします
武士道はどう死ぬかを常に考える生き様ですし
意思や志しというものの奥深さは無限大ですね
道って生そのものなのかもしれない
活き活きとしていきたいものですね
リンクの件ありがとうございます
こちらもプリメロさんのリンクを貼らしてもらいます
投稿: じん | 2008年12月 9日 (火) 12時56分