富士山行記8【生還】
~~感じる、命の温度~~
2008年8月9日 富士山 須走口下山道
トボトボと、ヨロヨロと力なく親子二人の姿があった。
時に肩車で、時におんぶで、時には二人それぞれの足で。
途方にくれながら歩く姿に、追い越す他の登山者が優しい言葉をかけてくれる。
「大丈夫ですか?」
「どちらまで行かれるんですか?」
「あぁ、まだまだありますね。頑張ってくださいね」
「やぁ、大変だぁ」
孤独にコツコツと下るより、そういった声が係ることがよっぽど心強い。
しかし、明らかに人はどんどん少なくなってきている。皆、足早に下山を済ましたい気持ちでいっぱいなのだ。
絶体絶命の状況で、不安と恐怖と後悔の念を抱きつつも、気付けば現実的にだいぶ下ってきた。
普段の倍以上時間がかかっているが、着実に下っている。
雨も弱くなり、ほとんどパラパラと砂がかかる程度にもなってきた。
ココまで来れば、というほどの場所ではなかったが、気持ちが急いでもどうなるものではない。
少しばかり落ち着いた気持ちを取り戻し、風をよけるため岩のくぼみに二人して座った。
子「寒い・・・お腹すいた・・・」
父「おー!そうか、食う元気があるか。」
すこし元気な口調の声色に、僅かな希望の兆しが見えた瞬間だ。
父「あっそうだ!バーナーもあるし水もある、暖かいカップラーメンでも食べて身体を暖めよう」
なんで、このことをもっと早く気付かなかったのだろう?
と改めてパニック状態だったことを思い出す。
準備に準備を重ねた結果、暖かいモノを食べる事が出来る。これほどの安心があったろうか、と思うほど、心から安堵の気持ちが溢れてきた。
まだまだ不安はあるが、それを勝る安心への欲望が次から次へと湧き出してきたのだ。
おもむろに火をつけ、まずはお湯を沸かす。漏れる炎に手をあて、火の温かみに命の温度を感じる。子供も徐々に元気になってきた。死への不安は徐々に和らいでいった。
こりゃ絶対に風邪を引くな、と思ったが、死ぬほどの高熱は出ないだろうと。
父「無事下ったら、あったかい温泉に入ろうな」
子「じゃあ、すぐにお風呂に入っていい?」
息子が言いたいのは、いつも身体を洗ってから湯船に入るように言われているため、今日ばかりは洗わないでそのまま入ってもいいか?と、聞きたかったのだろう。律儀と言うか純粋と言うか・・・
それだけ暖かいお風呂を心から求めていたと言う事だ。
父「いいよ、いいよ、もちろん(笑)」
二人に少し笑顔が出始めた・・・
風こそ冷たいままだったが、雨はやみ雷の音も小さく、遠くに移動していったようだ。
残りのオニギリを食べ、暖かいスープと共にカップラーメンを頬張る。
舌の感覚は鈍く、味覚が機能していないと感じながらも、とてつもなくウマイ。
温かさとは、命そのものなのかもしれない。
人の温かさ、心の温かさ、食べ物の温かさ。食は命をつなぐ無くてはならないものだ。
近年良く叫ばれる「食育」という言葉。
添加物の無いもの、有機栽培、無農薬、栄養のバランス、食生活の乱れ・・・
コンビニのオニギリ、インスタント食品なんて「食育」からすれば論外だろう。
しかし、我が家の「食育」は、まさにこのカップラーメンだ。
温かいインスタントラーメンが命をつなぎ、希望が沸き溢れた。
本当の意味での「食育」とは、食と物の間にある命を感じ取って始めて進められるのではないか?
結局は、見せ掛けや飾られた知識や技術などという表面しか見えていないのではないか?
マスコミにちやほやされる様な迎合された薀蓄などちゃんちゃらおかしい。
決して、高いお金を払って健康を維持することや、良質の食物を食することではない。
農業問題や自由貿易、ドーハラウンドなどの大問題の根源は、先進国の搾取と言われる。
「食育」を理由に経済的格差をより加速する可能性だって否めない。
ま、感極まって偉そうに大言を吐くのはホドホドにしておこう。
とにかく、本当に美味かったのだ。
何分くらいそこに留まっていただろうか?おそらく30分以上はいたと思う。
ちょうど下りと登りが入り混じる地点だったため、人の行き交いもやや多い。
そんな二人を見かねた良心的な登山者が、息子にアメをくれた。
登りの時と違って、今度は快く受け取った。甘いものにはエネルギーがある。
疲労に隠されていた空腹も満たされ、高度も下がったことにより気温も、そして体温も上昇してきた。
このまま踏ん張ればなんとか下山できるかもしれない。
本当に今の今まで、下山できるかどうか、不安で不安で仕方が無かったのだから。
これほどの勇気が沸いたのは何年ぶりかというくらいに。
父ちゃんの不安や迷いは一切払拭された。
息子を肩車して歩く歩幅にも力が蘇る。ただ、肩に係る痛みはこらえなければならなかったが。
多少元気が出てきた息子も、徐々に自分の足で下れるようにもなった。
もちろん、まだ泣き泣きだが。
18:00に近づく頃には、七合目大陽館の所まで来た。ここまで来れば一安心だ。
まだまだひたすら歩くわけだが、砂走と呼ばれる急勾配のザレ場を一気に下る。
ザクザクと進む一歩が大きく沈む。スキーで下ればあっという間だろう。
晴れた日に下ると砂埃が舞い上がり、真っ白になるほどだ。
幸い降った雨によりしっとりとした岩石は、多少の重みも含みながらも、澄んだ空気を保ってくれた。
早く下れると言ってもやっぱり長い。
ザックザックザック・・・
ザックザックザックザック・・・
下っても下っても先は長い。
一向に縮まらない。
徐々に日が暮れ始めた。高度が一気に下がるので気温も上がったように感じる。
息子もだいぶ力が蘇ってきた。もう、ほとんど肩車をしなくても自分の足で歩いてくれている。
落ち着いてきた安心感と共に会話も弾んでくる。
父「父ちゃんは、今回で本当にお前のことを見直したぞ!」
(*´σー`)エヘヘ、嬉しそうに照れる息子
子「父ちゃんに富士山連れてきてもらって良かった。疲れたけどね」
父「そうか?もう二度と登りたくないだろー?コリゴリだな」
子「うん、でもそんなにヤじゃないよ。雪が降って寒かったから歩けなかったんだよ」
なんとも大きいことを言う。子供はいつでも大言壮語だ。
しかし、そんな力強い言葉が何よりも嬉しかった。
父「ホントにホントにゴメンな。謝ってばっかりだけど、謝りきれないよ」
子「別に平気だよー。自分で行きたいって言ったんだからさ!」
父「ほんとか~?ついさっきまでベソかきながら『歩け゛な゛い゛~』って言ってたじゃんかー(笑)」
些細な会話であるが、本当に親子の絆を感じることの出来る会話だった。
何よりも替えがたい、一生の記憶に残しておきたい、とても大切な会話だった。
足早ながらも無理をせず、ザクザクとひたすら下っていく。
下山最後の山小屋 砂払五合目 吉野屋に到着したのは19:00に程近い夕暮れの時間だった。
靴の中に入った大量の小石をザーッと振り落とす。
もう靴もボロボロ、靴下もボロボロになっている。おまけに心も身体もボロボロだ。
でも、ここまで来ればもう何の迷いも無く、最初の登山口まで帰ることが出来る。
限界をとうに超えた、自信と確信に満ち溢れた気持ちだった。
風はぬるく、湿気と共にまとわり付くような空気を送ってくる。
最後は30分程度の樹林帯を抜けて登山口に帰る。
閉まったヘッドライトを再び装着し、徐々に暗がりが覆う樹林帯の奥へ奥へと進んでいった。
目印になるのは下山道の道しるべとなる矢印の看板とロープのみ。
木々の間から漏れる空の色が徐々に濃くなり、藍色から濃紺へと変化する。
そして、遂に完全に日が暮れ真っ暗闇の樹林帯になった。
登山開始時と全く同じ風景。下っているということを除いては。
子「ねぇ?まだ着かないの?間違ってるんじゃないの?この道で合ってるの?」
意気揚々と登り始めたスタート時とは全く違い、歩いても歩いてもゴールに着かない不安が押し寄せているらしい。
父「大丈夫、大丈夫。この道で合ってるさ。(不安だけどね)」
まぁ、下山なんてそんなものだ。
自分で思っているより長く、そして突然にゴールに着くのだ。
何度も「まだ?まだ?」の泣き泣きの問答を繰り返しながら、今から登りはじめる登山者とすれ違いながら、やっとのこと見覚えのある神社の建物の横に出た。
あとは石畳の階段を下ればゴールだ。
つまずかないように慎重に一歩一歩下る。
頂上へ到着するのとはまったく別の、安堵に満ち足りた安心感に包まれる。
帰ってこれた・・・
なんとか無事に。
無事ではなかったのだが、無事だった。
本当に良かった
ほぼ日常に戻ってきたお陰で、まともな精神状態に戻れた。
これこそ生還。
このとき19時20分。まるまる19時間の富士山の日帰り登山が今、完結した。
もう二度と須走口から登るもんか
本気で思った一番最初の感想だった。
しかしよくよく考えると以前もそんなことを考えていたような、微かな記憶が残っている事実も否めない。
息子はしきりに
「バスが行っちゃうよ!早く!早く!」
父「ちょっとくらいお土産でも見ていこうよ」
店内に入って、物色するが、疲労と安堵により思考はほとんど停止している。
考える事も億劫なうえ、どうやらバスの出発時間が19:30らしいので、何も買わずに店を出た。
バスは30分おきに出発する。下山後ゆっくり休む事もなく、せわしくバスの発着所に向かう。
他の下山者も同じように発着所に集まってきた。
おもむろに帰りのチケットで受付を済まし、ようやくバスに乗り込んだ。
ほんの数時間前までの境遇と、今この現状とのギャップから、悪夢から覚めたような不思議な思いを巡らせた。
いずれも現実だったのに、今となっては本当に悪い夢のようだった。
いずれにせよ、
本当に無事でよかった・・・生きて帰れて
子連れで日帰り登山なんて無謀なことは、絶対やったらイカンと。改めて、イヤ、今更深く思ったバスの中だった。
息子はバスが走り出したと同時に電池が切れたように眠ってしまった。
自分もいつの間にかウトウトとしていた。
右へ左へゆらゆらと揺れる下りの道のりが、なんとも心地良い眠りを提供してくれた。
駐車場に着いたバスから続々と人が降りてゆく。息子を揺り起こし、寝ぼけ眼のまま一番最後にバスを降りた。
やっと着いた・・・
さて、片付けをして温泉でも行くか。
突然、大きな爆発音が聞こえるとともに、キラキラと光る夜空の風景。
丁度、その周辺で夏祭りをやっていたらしく、メインの花火大会が始まった頃だった。
まるで、自分達の登山の達成をお祝いしてくれているかのようだった。
2008年8月9日 20:20 今まさに、親子二人の登山は幕を下ろした。
※
今回写真が一枚も無いのは、下山中に写真を撮るほどの精神的な余裕が無かったためと、夢中でゴールしバスに乗り込んだためです。
それだけ、切迫した状態でした。
つづく
まだ続くか!?もういいよ、と声が聞こえてきそう・・・
自分のブログですゆえ(笑)
次回、いよいよ最終回
“家に帰るまでが登山”
最初、登山の持ち物を読んだとき、なんでそんなにいっぱい持っていくんだろう?と思ったけど、やっぱり必要なんだね。カップラーメン体が暖まって美味しかっただろうな〜♪・・・と思いながら焼肉定食食べながら読んだジョ!
ムム、続くってことはまだハプニングがあるッスか??
投稿: じゅん | 2008年9月 4日 (木) 12時25分
いや~お疲れ様でした
読んでるだけで、自分も富士山に登りきった気分。
やっぱり、大自然は偉大ですね
投稿: ほうちゃん | 2008年9月 4日 (木) 12時32分
>じゅんちゃん
山で食べるカップラーメンはウマイねー。
むしろそれが食べたいがために頂上に行く?
しかし焼肉定食好きだねー、前も食べてなかった?
ハプニングというほどではないんだけど、蛇足的なノリで・・・
あと少し、お付き合いくださいませ。
投稿: じん | 2008年9月 5日 (金) 05時46分
>ほうちゃん
お世話様でした。読んで頂けることに感謝です。
自然は偉大ですね。人間は過信してはならないですよ。
大地震だけでなく、災害はいつ起こるかわからない。
時に身をもって体験する事の大切さを学びました。
パニックに陥るって、紙一重のタイミングですよ。
投稿: じん | 2008年9月 5日 (金) 05時48分
はぅ~無事下山できてよかった。
山の天気は変わりやすいとはいうけど、
こんなに過酷になるなんて思ってもなかった。
ホントに無事でなによりでした。
カップラーメンはいつ食べてもおいしいけど、
こんな状況で食べると格別なんだろうね
投稿: たかたか | 2008年9月 5日 (金) 10時18分
>たかたかさん
ほぅんとに無事下山できて良かったよー。
たかたかさんは、読みながら一緒になって登って下りてくれた感じだね。
小説とか、結構感情移入とか世界に入り込みやすいタイプかな?
やっぱりこういうときのカップラーメンはシンプルに日清カップヌードルに限るね
開けてお湯入れるだけだし。
登山お疲れ様でした(笑)
投稿: じん | 2008年9月 6日 (土) 04時28分