富士山行記5【登山】
2008年8月8日 深夜 須走口の休憩所ベンチにて仮眠中
ヨシズをかけた程度の簡易の屋根の下、ダイナミックに切り込んだ半分丸太の木製テーブルとその脇にある木製ベンチ
日差しの強い昼間ならば、快適であると思われる風通しの良さそうな店先の場所
何人もの登山者がそこに腰掛け、期待を胸に壮言を述べたり、また、苦難を共にした感想を述べたりと、いくつもの談話が交わされたであろうその場所。
店の明かりも消され、街灯もないその場所は、自動販売機の明かりがうっすら届く程度の暗闇に包まれていた。
そこに群馬から訪れた親子二人が寝ている。
父 31歳(会計事務所勤務)
子 6歳(小学校一年)
バカ親子二人だ
はたから見たら荷物の積み上げのように。
はたまた得体の知れない黒い塊りが転がっているように。
何人もの通行者が疑問に思ったか?我々に気付いたのか?
それは定かではないが、そこに寝転がっている当人の頭の中には、ヒトツの疑問が生じていた。
このまま3時前まで居られるだろうか?
なぜなら・・・
寒い、寒すぎるのだ・・・
((´д`)) ぶるぶる・・・
そして寝場所が数センチしかないのだ。
ベンチの大部分は子供が陣取り、我が子の寝相の悪さをサポートするには離れるわけにいかない。ほとんど身動きの取れない状態で悶々と寝付けず、ただ時間だけが過ぎていく・・・。
当初の予定は5~6時間の仮眠を十分にとって、日の出二時間前くらいに上り始める予定だった。しかし、予想以上の気温差と人通りの雑音に悩まされながら、深い眠りに付けず、その後の予定を頭の中で練っていた。
そんな事を考えているうちに、数十分ウトウトし12時を回る手前になった。
最終のシャトルバスは22時発だから、今ポチポチ訪れる登山者はおそらく2割増しのタクシーで上って来た人たちだろう。
少しボーっとして、このまま寝られないで居るなら、ゆっくり休み休み登っても同じかもしれないな、と考えていた。
Σ(・o・;) ハッ!
突然、子供が起きた。
子「今、何時?」
父「真夜中の12時前だよ、目が覚めた?」
子「うん、なんかよく眠った」
父「ちょっと早いけど、もう登り始めちゃうか?また寝るか?」
子「うーん、登っちゃってもイイヨ。なんか眠くない」
またまた、計画変更
さらに寒くなってきたし、ゆっくり登り始めて眠くなったらまた途中で休もう、という結論に。
子供にもレインコートを着込ませ、寒くないように準備をした。
ヘッドライトの電池も入れなおし、真っ暗闇の登山口へ向かう準備は万全となった。
いよいよ、3年ぶりの登山が始まろうとしていた。
日付も変わった午前零時過ぎ
不安よりも、期待と意気込みに溢れる親子2人。
イヤ、子供のほうは真っ暗で先も分らない登山道が相当恐ろしかったようだ。
そりゃそうだ、電灯一つない森の中を、自分のライト一つで登っていくのだから。
はじめの登山口からは整備された巾の広い石段を数十段登る。
そこを左に曲がって鳥居をくぐり神社が見えたら、いよいよ本格的な登山道へ入り込む。
緩やかな林間道や多少起伏のある岩石の間を階段状に上っていくコースだ。
真っ暗な中、当てになるのはヘッドライトのみ。足元を照らしながら一歩一歩確実に上る。
ゴツゴツした岩石や盛り上がった木の根が、より慎重な一歩を歩かせる。
前にやる気満々の息子。しんがりを守るのは父ちゃん。
単に置いていかれているだけの構図とも言える
しかしゆっくりじっくりが大前提の富士登山。
息子に「急ぐな、ゆっくりゆっくりだぞ」と自分自身に言い聞かせるように言う。
実を言うと・・・
息子は登山経験はゼロだ
初登山で初富士山を挑戦させた。
と、いうよりは挑戦させてしまった。単なる親のエゴともいう。無謀といえば無謀。
しかし、トライできるチャンスも一度きりだ。練習で別の山に登ってから、ある程度経験を積んでからでも良い、という考えもある。というより、それが普通だ。
だがあえて無謀な挑戦にした。むしろMove onなのだ。
失敗して当然、成功できて大したもん。挑戦できる環境こそがありがたい。
自分も、子どもの頃初登山で富士山に連れて行ってもらったら・・・
おそらく、相当嫌がったかもしれない(爆)
自分は嫌なくせに、子供には押し付けてしまった
そういう意味で、ウチの息子は立派なもんだ。
親バカながらも、見上げた根性を見せてくれた。これは誇りに思う。普段どんなにグズグズしようと、やはり子どもを見くびったり、見限ったりすることは、親として一番してはいけないことかもしれない。
その逆もしかりだ、過度な期待や希望を子どもに求めてもいけない。
ましてや自分のやりたかったことや、やれなかったことを、子供に求めてもいけない。
あくまでも、場を提供する、経験させる環境に置くことが役目であり、その選択肢は子供に帰属させるべきではないか。
今回のことも、提案こそしたが、本人(息子)が決死の覚悟で「行きたい」と言ったからこそ実現した事だった。
何も親が無理やり引っ張って行った事ではない。
ぶっちゃけ、試験前に登山練習をしたりする時間も無かったし、突然思いついたということも大いにある。
単に、カッコつけた言い訳をしたかっただけ、という事実も否めない
何はともあれ、息子が意気揚々とスイスイと先に登っていくその後ろを、息を整え整え普段の運動不足を呪いながら父ちゃんが登っていく。
何人もの登山者に先の道を譲った。譲るたびに、後方のヘッドライトの明かりがなくなり、再び孤独を感じる息子。
子「また、最後になっちゃったじゃん」と元気いっぱいだ。
抜かされることに慣れている自分は、自分の器を知っているため焦らない。
焦って自滅するくらいなら、カメになって“お先にどうぞ”で十分なのだ。
登山は競争ではない。自分との戦いだから。
50分ほど登り、樹林帯を抜け見晴らしの良い所に出た。まだ深夜だ。視界が開けたといっても、眼下は暗い。道路の明かりや家々の明かりが点々と付いているのが見える。
風は冷たいが、上昇した体温と混ざって心地よく感じる。
そろそろ森林限界も近い。低木が並んで道もなだらかになる。
ここから六合目の山小屋まで、低木のトンネルをくぐるようになだらかに右へ左へ登り続ける。所々に視界が開ける場所がり、気分転換にもなる。
子供は低木の登山道は「怖い」と言って嫌がったり、視界が開けるたび「おぉー、高いなー」と言って元気になった。
しばらく、コツコツと低木の樹林帯を登り続け、やっと最初の山小屋に到着した。
新六合目 長田山荘 標高約2400m。
登山口から約2時間弱といったところか。
歩いているときの身体は体温が上がり暑い。
しかし、座って休んでいる途端に冷たい風により寒くなる。この温度差は日常では体験しにくい。
早速息子が「オシッコ」と言い出した。
富士山の山小屋はトイレは有料だ。排泄物の管理や輸送は相当コストが係るらしい。たしかに、環境を守るため垂れ流しにしてしまってはいけない。
商売根性というよりは、負担して当然という富士山のマナーなのだ。
一回200円チーン
価格に多少なり唸る気持ちを持ち合わせながらも、マナーを守る意識を奮い立たせてチャリンと入れた。
お互いにスッキリして、再び登り始める。
次に向かうは本六合目 瀬戸館
ここから約一時間の道のりだ。
やはり、低木の樹林帯を抜けたり、視界が広がったりの交互の登山道。
まだまだ夜は明けない深夜2時過ぎ。途中休み休み、登り続けるが、息子からは一向に弱音が出てこない。
出発前は、おそらく2時間程度で根をあげて、グズグズしだし不平不満が出てくるのでは?と思っていた。
が、今のところ、まだスイスイと登っていく
父「疲れたかー?」
子「うん、でもまだ平気」
父「どうだ?登山は?富士山は高いだろー、まだまだあるぞ上が」
子「楽しい、登るのが。ホントに高いねー」
嬉しいことを言ってくれる。連れてきた甲斐があるってもんだ。
そんな会話をしながら、ほどなく一時間、難なく本六合目 瀬戸館に到着。
まだまだ先だと思って歩き、低木を抜けると突然、小高い石積みの丘の下に到着する。
そこが瀬戸館だ。何をもって、新と本を使い分けているか分からないが、まだ六合目だ。登り始めて約3時間経過。
疲れてはいるがまだまだ元気、気力体力共に十分ある。
少しの休憩の後、次の七合目 大陽館に向かう。当初泊まろうと予定した場所だ。ここから、約一時間。森林限界から抜けるようになり、視界もほとんどハッキリ見えるようになる。
真っ暗な空が藍色になり、次第に水平線からうっすらと紫色に変化を始める。
空の星がより輝くように見え、また距離も近い。
風ともに広がる景色の広さに元気をもらいながら、ようやく七合目 大陽館に到着。
標高は約2900m。午前4時。日の出はもうそろそろだ。
山小屋周辺には宿泊客が御来光目当てに、ぞろぞろと出てくる頃だった。
風が通り抜ける場所では、じっとしていると凍えてしまいそうなほど寒い。
夜明けは気温が下がるうえに、汗をかいたTシャツがより寒さを増した。
その山小屋で二人とも用を足し、外でご来光を待った。
空と水平線の境界が徐々にオレンジ色に変わり、いよいよ日が昇る頃だ。
真上はまだ藍色、水平線に向けて徐々に薄くなる空の色。
眼下にはきめ細やかな白い雲が絨毯のように広がっている。
所々から山の頭が突き出し、すべてが平らではない雲海の一面が、より幻想的な景色へと変化させる。
息子が
「寒い・・・・おなかがすいた・・・」
(((=_=)))ブルブルブル・・・
というので、持参したバーナーでお湯を沸かし、カップラーメンを作った。
朝日を浴びながら、しかも富士山の御来光を浴びながらのカップラーメンはどんな味だっただろう?
近くの浄化槽からのニオイと混じって、複雑な味をかもし出していたに違いない。
とにかく、疲労で食欲がないよりはよほどマシな状態だ。
寒いとはいえ、まだまだ元気があるようだった。
須走口は東側から登るので樹林帯を抜けた六合目以上ではどこでもご来光を見れる。
ゆっくりなだらかに登るこのコースはツアーこそないが、隠れた名コースなのだ。
お日様と同じくらいの高さか、お日様の方がまだ低い。お日様を見上げることなく見るということが、富士山の醍醐味と言えよう。頂上ならば、なお更良いのかもしれない。
高さこそ違えど、雲の上で見るご来光はどこで見ても素晴らしい。ま、いつかは頂上でご来光を見たいと思うが、それにはもっと寒さ対策が出来る装備も必要だろう。
ご来光を見るのと食事をすました結果、一時間が過ぎていた。再び登り始める頃には朝の5時をまわっていた。
息子にしてみれば、いつもならまだまだ眠っている時間。そんな時間に歩き、しかも富士山を登っている。なんと刺激的なことだったろうか。
次に目指すは本七合目 見晴館 白い鳥居が目印の風が強い印象の場所にある山小屋だ。
日も徐々に昇り始め、大気の移動を身体全体で感じる。
雲はさらに広がり、大陽へ向かって吸い込まれていくようだ。
ジクザクに登るようになる七合目以上は、溶岩をザクザクと踏みしめていく単調な道だ。
登っても登っても、景色に変化はなく、頂上が一向に近づかない。
むしろこの時点では頂上さえ見えていないのだ。
大抵の人が頂上と思っている場所は、頂上ではない。
起伏の関係で頂上はダイレクトに見えないことが多いのだ。
ポケットラジオのFMの感度もより良くなり、j-waveが気持ちよく流れている。
黙々と登る赤いヤツ。
この時点で、まだまだ父ちゃんより元気に進んでいる。
時間もまだAM6:00前。標高はおよそ3100m。既にスタートから1000m以上も登ってきた。
明るくなって景色も開けた事から、息子もより元気になってきたようだ。
自分で登った高さを目の当たりにする、その爽快感にはまってきたらしい。
七合目から約一時間 本七合目 見晴館に到着。
やはりココでも例のごとく・・・
一回200円チーン
しばしの休憩の後、次の八合目 江戸屋を目指す。
ここまで来ると山小屋間の時間はおおよそ一時間毎だ。
丁度良いテンポで山小屋に着くため、気分転換になりやい。
登山のペースも掴み、ほとんど単調に登り続ける作業の繰り返しだ。
まだまだ、ここは我慢のしどころだ。
順調に一時間後、江戸屋に到着
ここは河口湖方面 富士吉田口への下山道の分岐点となっている箇所であるため、人が急に多くなる。
皇太子殿下も宿泊されたようで、その旨の看板が掲げられている。
急に賑やかになる登山道に出た事で、息子も少しビビって来たようだ。
そして、ついに問題発生
急に息子の機嫌が悪くなった
何かと尋ねると・・・
子「ここが頂上だと思ったんだよーお土産屋じゃないじゃんか」
父「あぁ~、なんだ勘違いしてたのかぁ。良くある事だ、気にするな。」
子「う゛~う゛~、い゛や゛だ~疲れたー」
父「さすがにココまでくれば、普通に疲れて当たり前だ。疲れない方がおかしいよ。少しゆっくり休んでから行こう。」
すねた息子には普段から慣れている。ただ、状況が状況なだけに、本人も普段以上にすねない。本人が一番頂上へ行きたいし、むしろ進むしかない事は分っているのだ。
きっと自分自身と戦っていたのに違いない。
何より「頂上のお土産屋でお友達にお土産を買うんだ!」と言うのが彼の支えになっている。
分りきった問題が発生しただけの事だった。
ココからが自分にとっても、息子にとっても徐々に正念場。クライマックスに近づいている状態だった。
多少、ブツブツ文句を言うのが増えてきただけだ。
( ̄s ̄; ブツブツブツ・・・
まだ天候も良く、気温もやっと上がってきた。
すでに3分の2以上もクリアし残すところはあと少しだ。
次に目指すは・・・
本八合目 胸突江戸屋 富士吉田口の登山道との合流点
八合目五勺 御来光館 頂上までの最後の山小屋
日差しも刺すように強く、日焼け止めの準備に余念は無い。まだ、天候不順になる兆しもなく、カラッと晴れ澄んだ空気を吸い込みながら、その薄さを徐々にかみ締める。
今のところ高山病は自分も子供もその症状は出ていない。
ココからが本当の正念場。今まで温存していた体力を一気に振り絞って頂上まで登りぬく!
標高約3200m地点、時間はAM7:30。残すところ500mの標高差。
本当の正念場は下山なのだが、それはまだ後の話に残しておく。
つづく
次回、ついに登頂まで達成 山頂編
“決死の山頂、雷雲と共に”
お楽しみに
いよいよ次回で頂上まで登るのね!
ワクワクしながら読んでます
息子ちゃんの頑張りと、じん父ちゃんの頼もしさに
涙がちょちょぎれるよ
私が小1の頃に、どこかの冬山登山に一人で参加して
心細かったけど、頑張った自分を誇らしく思った気持ちを
思い出しました
私も娘と思い出作りをしないとな~。
あっという間に大きくなってしまうもんね。
投稿: たかたか | 2008年8月27日 (水) 10時40分
「つづき」が気になりま~す。
息子もいいね~って気がしてきます。
うちには、気持ちは「息子」がいるのですが・・
アクアラインは、年一回だけですよ~(^^ゞ
今年も「ガチャピン」に会ってきましたよ。
普段は、実家(片道18キロ)との往復だけです。。
投稿: ガチャピン | 2008年8月27日 (水) 11時41分
ドラマチックです。
描き方が良いのかな
普段何気なく見てた富士山
だけど、登る人それぞれにドラマがあるのね
投稿: ほうちゃん | 2008年8月27日 (水) 17時46分
やっぱり8合目からだよね〜
私もそこで進むか戻るかかなり迷ったジョ
しかし、生まれて6年で8合目まで行った時点でスゴすぎ!息子さん、大物になる可能性大だジョ!この間、お会いした時に一緒に写真とればよかった〜
1年生を連れて行ったじんさんもスゴすぎ!
投稿: じゅん | 2008年8月28日 (木) 08時22分
富士山ですかぁ。すごいですねぇ。しかも、息子さんと一緒とはすご過ぎですな。
自分は根性無しなので、駅の階段ですら上るのを躊躇してしまいます。。。
投稿: G55 | 2008年8月29日 (金) 00時14分
初めて書き込みします、早起き板のみーみです(*^_^*)
実は何を隠そう大の富士山好きで、今回のシリーズを毎回どきどきしながら読ませていただいてます。
残念ながら、登頂したことはないのですが、「いつかきっと・・・!」と思っています。
息子さん、すごい根性ありますね~!
続きを楽しみにしています♪
投稿: みーみ | 2008年8月29日 (金) 04時05分
>たかたかさん
涙ちょちょぎれワクワクしてもらってありがとさんです
冬山に行ってるなんてスゴイじゃん
やっぱり子供の頃の経験って後々に繋がってるんだねぇ。
そういえば自分の子供の頃も、何度が親と山登りに行った記憶がある。
考えてみると子供って自然が大好きだから辛くても本当に楽しんだよね。
娘さんと出来る限り良い経験を積み重ねてね。
投稿: じん | 2008年8月29日 (金) 05時07分
>ガチャピンさん
やっぱり男親として息子ってのは女の子と違った良さがありますね~
娘も相当可愛いんですけどね
なんというか、何の遠慮もいらない間柄というか
友とは違う繋がり
子育ては心の距離次第で如何様にもなるのかもしれないですね
投稿: じん | 2008年8月29日 (金) 05時14分
>ほうちゃん
調子に乗って自分自身が盛り上がってます
相当のドラマがありますよ!
次回は感動の長編デス
懲りずに読んでやっておくんなまし
描き方、良いですか?感動が伝われば幸いです。
投稿: じん | 2008年8月29日 (金) 05時17分
>じゅんちゃん
じゅんちゃんも太古の昔に登ったとはいえ、いやはや覚えてるもんだねぇ
記憶とは粋なものだ
幼少期のじゅんちゃんと今のじゅんちゃんの違いって・・・
そのまんまに見えるイメージがスゴイところだジョ(爆)
投稿: じん | 2008年8月29日 (金) 05時20分
>G55さん
根性無しですかー?気持ち次第ですよ。
自分もそんなにたいしたもんじゃないですけどね。
なせばなる、なさねばならぬ何事も。
まずはチャレンジってトコですかね。
子連れ登山は無謀はできないですけどね(^^;ゞ
投稿: じん | 2008年8月29日 (金) 05時22分
>みーみさん
初コメントありがとうございます!
大の富士山好きですか?良いですよね。
やっぱり特別な存在だと思います。
頑張れば誰でも登れますよー。
準備と練習と、あとは一番大事なのが意気込み。
いつか叶うと良いですね
次回もお楽しみに。
投稿: じん | 2008年8月29日 (金) 05時26分